人々は 指導下されば 苦を捨てる 我も指導を お願いします<1058>

○少年少女のためのスッタニパータ<1058>
・・・
お釈迦さま
繰り返し教えてくだされば
愚かな者も学ぶでしょう
私もお願いいたします。


第5 彼岸に到る道の章 5.メッタグー経(メッタグー学生の問い)10.

○中村元先生訳
1058
聖者さま。あなたが懇切に教えみちびかれた
人々もまた今や苦しみを捨てるでしょう。
竜よ。では、わたくしは、あなたの近くに来て礼拝しましょう。
先生! どうか、わたくしをも懇切に教えみちびいてください。」


○正田大観先生訳
1065.(1058) 
牟尼よ、あなたが、彼らを、停滞なく教え諭すというのなら、
しかして、また、彼らは、まちがいなく、苦しみを捨棄するでありましょう。
龍(ブッダ)よ、〔まさに〕その、あなたを、〔わたしも〕共に赴いて、礼拝します。
世尊よ、まさしく、また、わたしも、停滞なく教え諭してください」〔と〕。(10)


○パーリ語原文
1064.
テー     チャーピ    ヌーナッパジャヘッユ   ドゥッカン
‘‘Te     cāpi       nūnappajaheyyu       dukkhaṃ,
彼らは   そしてまた   確かに・捨てるでしょう   苦を

ウェー    トゥワン    ムニ   アッティタン    オーワデッヤ
ye       tvaṃ      muni    aṭṭhitaṃ       ovadeyya;
ならば    あなたが   聖者よ  停滞なく      教示する

タン     タン    ナマッサーニ    サメッチャ    ナーガ
Taṃ     taṃ     namassāmi     samecca      nāga,
その    あなたを  礼拝します     近づいて     竜(ブッダ)よ

アッペーワ   マン     バガワー    アッティタン   オーワデッヤ
appeva      maṃ     bhagavā     aṭṭhitaṃ      ovadeyya’’.
どうか      私も     世尊よ     停滞なく     教示して下さい


○一口メモ
今回の偈はメッタグー学生が述べた言葉でありますが、真理の言葉を聞いたのならば、あとは実践するだけであります。それなのに、彼は、ブッダに「懇切に(停滞なく)教えみちびいてください。」と頼んでいます。私は少し甘えているのではないかと思いました。しかし、人間の実状は一度真理の言葉を聞いただけで、理解することはできず、ましてや実践することが出来ないことは、私自身を顧みれば分かることなのです。致し方がないことなのだと思いました。ですが、このようにブッダにお願いしても、自分の目的を達成しようというメッタグー学生の志は評価するべきなのでしょう。


人々は 指導下されば 苦を捨てる 我も指導を お願いします<1058>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎10月9日(金)から10月13日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年10月10日 04:09
おはようございます。
「苦しみ」は、「捨てる」ことができれば、それでいいんですよね。実にシンプルです。なのになぜ実践できないのか?「執着」ですね。これを捨てなければいけません。アーチャン・チャー長老の法話でも、「捨てると楽でしょ」とシンプルに説かれています。ごちゃごちゃ考えずに、この教えの実践に邁進致します。それにしても、先生の「しかし、人間の実状は一度真理の言葉を聞いただけで、理解することはできず、ましてや実践することが出来ない」という言葉は耳に痛かったです。まさに私のことですから。
私事で恐縮ですが、この後、守谷冥想合宿に参加致します。しばらくパソコンを離れ、言葉や概念の次元を超えるべく、修業してまいります。本日は、熱海仏法学舎様でのご指導があるにもかかわらず、日々私達に丁寧な説明をして頂きました。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2015年10月10日 07:51
おはようございます。
私事ですが、長老の面談のある合宿に参加させて頂きました時に、質問がなければ(その期間中)一度も面談希望をしなかった事があります。
ですが、何処まで実践出来ているのか、面談の機会がある(期間中)時に、一度は希望を出して報告しようと決めました。そうしましたら、自分が如何にお気楽でやっていて・とても報告出来る状況ではない・・と分かり、冷汗が出ました。
今は志を持って、(内容はともかく)報告が出来るように真剣に取り組みたいと、日々自覚しています。
(全くの余談ですが、守谷合宿は諸々から参加が叶わず、明日はダンマサークル準備会の集いに参加させて頂きます、出来る事を実践して参ります)
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
シンプルなネズミ
2015年10月10日 13:32
普段仏教を優先していないことが当たり前だと思っている自分がいます。この状態が一生続くことも有り得ます。
しかし仏教なんて若気の至りで下らないことにこだわってしまった、あんなものに意味はないのだと開き直ることがあるかどうかは疑問です。
何かを信じるという行為に苦痛を感じている自分、人間の悲劇性までを見いだしている自分を無視できなかった経緯があるからです。
何もかもが徹底的に壊れても、なおモラリストでいられることの証明と言ってもいいでしょうか。私はそれをキャッチできる存在が生まれてくる可能性を想定し続けることが義務だと思っているのでしょう。

幸せでありますように。
てくてく
2015年10月16日 20:36
こんばんは。
てくてくでございます。

この偈とこの偈に至るまでのお話を読み返しながら、これらの問について、このように思いました。

一つ目の問いは、ブッダを知らないものの問い。
二つ目の問いは、ブッダを知ったものの問い。
三つ目の問いは、ブッダに成ると決めたものの問い。

これらの問いは、問うたものも、その意味も全く異なっているのだと読みました。

ブッダがブッダと分かること。
人は、これをまず、やり遂げなければいけないと思いました。