伝承の 理法ではなく 目前の 理法説くから 執着超えよ<1066>

○少年少女のためのスッタニパータ<1066>
・・・
言い伝えではなく
私が悟った安らぎを教えよう。
それを知って執著をなくせ。


第5 彼岸に到る道の章 6.ドータカ経(ドータカ学生の問い)6.

○中村元先生訳
1066
師は言われた、
「ドータカよ。伝承によるのではない、
まのあたり体得されるこの安らぎを、
そなたに説き明かすであろう。
それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えよ。」


○正田大観先生訳
1073.(1066) 
かくのごとく、世尊は〔答えた〕
「ドータカさん、あなたに、〔真の〕寂静を述べ伝えましょう。
〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)における、伝え聞きではない〔真の寂静〕を。
〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者が、それを知って、
世における執着を超えるであろう〔真の寂静を〕」〔と〕。(6)


○パーリ語原文
1072.
キッタイサーミ    テー    サンティン
‘‘Kittayissāmi     te      santiṃ,
私は語ろう      あなたに  寂静を

ドータカーティ    バガワー
(dhotakāti       bhagavā)
ドータカよと     世尊は(言った)

ディッテー    ダンメー    アニーティハン
diṭṭhe       dhamme     anītihaṃ;
目前の      法を       伝聞でない

ヤン    ウィディトゥワー   サトー    チャラン
Yaṃ     viditvā         sato      caraṃ,
それを   知って        気づいて   行じつつ

タレー      ローケー      ウィサッティカン
tare        loke         visattikaṃ’’.
乗り越えよ   世間における   執着を


○一口メモ
今回の1066偈と既に学んだ1053偈と比べて下さい。
1053
師が答えた、
「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、
いま眼のあたり体得されるこの理法を、
そなたに説き明かすであろう。
その理法を知ってよく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えよ。」

1066
師は言われた、
「ドータカよ。伝承によるのではない、
まのあたり体得されるこの安らぎを、
そなたに説き明かすであろう。
それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えよ。」

中村先生は同じパーリ語を少し違った訳にしてありますが、パーリ語原文の違いは「メッタグーよ」と「ドータカよ」及び「理法」と「安らぎ」だけであります。

メッタグー学生には、煩悩、生と老いと悲しみを乗り越えるために、伝承でない体得された理法を説きましたが、ドータカ学生には遠離の法を教えるために、伝承でない体得された理法を説くことになります。


伝承の 理法ではなく 目前の 理法説くから 執着超えよ<1066>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年10月18日 03:58
おはようございます。
この章のブッダの御回答として、「よく気を付けて行い」というフレーズが、今回の偈で、合計7回も繰り返されています。「気を付けなさい」と日本語で言うと、とても軽く感じてしまいます。でも、すでに7回も繰り返されているのです。私は、日本語のニュアンスを排除して、もっとその重要性を認識しなければなりません。そう思って自分の冥想を振り返ってみました。すると、「妄想」が生じるのは、すべて自分の「よく気を付けていない」ことによる「不注意」が原因であることに気が付きました。最初はきちんとサティが入っている。ところが、いつのまにかサティが疎かになり、「妄想」まみれになっています。それはことごとく「よく気を付けていない」ことが原因です。ブッダが繰り返し説かれる「よく気を付けて行い」がいかに大切であるかがわかります。冥想に臨むにあたって、気持ちを引き締めるための、いいきっかけにします。
本日も、ご指導ありがとうございました。
こころざし
2015年10月18日 07:36
おはようございます。
伝承のやり方も修行としては深いのではと想像致しますが、執着を超える域にはいけないと感じました。
執着を超えれるように、お釈迦様が教えて下さる事を学ばせて頂き、そして真摯に実践して参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。