世の中の 種々の形の 苦しみは 固執が縁で 生起するのだ<1050>

○少年少女のためのスッタニパータ<1050>
・・・
皆さんが苦しむのは
意地を張るからです。
こだわらなければ楽になると、
お釈迦様は教えます。


第5 彼岸に到る道の章 5.メッタグー経(メッタグー学生の問い)2.

○中村元先生訳
1050 師(ブッタ)は答えた、
「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。
わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。
世の中にある種々様々な苦しみは、
執著を縁として生起する。」


○正田大観先生訳
1057.(1050) 
かくのごとく、世尊は〔答えた〕
「メッタグーさん、まさに、苦しみの起源を、〔あなたは〕わたしに尋ねました。
それを、あなたに、〔わたしが〕覚知しているとおりに言示しましょう。
それらが何であれ、世における、無数なる形態あるものとしての、
諸々の苦しみは、〔心の〕依り所(依存の対象)という因縁から発生します。(2)


○パーリ語原文
1056.
ドゥッカッサ     ウェー    マン    パバワン    アプッチャスィ
‘‘Dukkhassa     ve       maṃ    pabhavaṃ    apucchasi,
苦の          実に     私に    根源を     尋ねた

メッタグーティ    バガワー   
(mettagūti       bhagavā)
メッタグーよと    世尊は(言った)

タン    テー     パワッカーミ    ヤター    パジャーナン
Taṃ     te       pavakkhāmi     yathā     pajānaṃ;
それを   あなたに  説くであろう    通りに    知る

ウパディニダーナー  パバワンティ    ドゥッカー
Upadhinidānā       pabhavanti      dukkhā,
依処を因縁として    生じる        苦が

イェー    ケーチ    ローカスミマネカルーパー
ye       keci      lokasmimanekarūpā.
それらの  いかなる   世間の無数の形態であれ


○一口メモ
これから書こうと思うことは実は、昨日の「一口メモ」で書くべきことではありました。メッタグー学生の先の質問は、正しく洞察されたものだったということであります。世の中にある種々の苦しみは、単純に考えれば、飢えた時の苦しみは、食べ物がないからだと思います。また、病気の時の苦しみは病気が原因だと思います。人々の考えは苦しみの原因は人間に対する外部的な種々の要因に及ぶのです。しかし、メッタグー学生は苦について種々の外部定要因ではなく、一つに集約される内部的要因が何かと言う質問をしているのです。

ですからブッダは、「世の中にある種々様々な苦しみは、執著を縁として生起する。」(中村先生訳)と端的に答えることが出来ました。「執著を縁として」を正田先生は「依り所(依存の対象)という因縁から」と訳されています。

Upadhiは、パーリ語辞書には「存在の拠り所」と書いてあります。十二因縁の教えによれば、存在(有)の拠り所は、執著(固執)でありますから、執著=存在の拠り所と考えてよいと思います。「執著=存在の拠り所」が苦の源であるとブッダはメッタグー学生に教えたのです。

この偈で、ブッダが自分の教えについて、「わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。」と述べたことは重要です。ブッダは、伝承でもなく、人から聞いたことでもなく、憶測でもなく、自分自身が悟って、知ったことを、しかもそれを隠すことなく、ありのままに説くと言明していることです。今も昔もこれと逆のことが行われていることを知るべきなのです。


世の中の 種々の形の 苦しみは 固執が縁で 生起するのだ<1050>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎10月9日(金)から10月13日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年10月02日 04:12
おはようございます。
「十二因縁のうち、どれかひとつでも消すことができたら悟りに至ります」とは、スマナサーラ長老がアビダンマ講義で説かれていることです。もちろん「無明」を消すのが一番なのですが、なかなか難しいものがあります。そこで、「渇愛」を取り上げて、それをなくそうとするのが一般的です。でも「渇愛」が生じること自体を消すには、六根の防護が不可欠です。私にとっては、それも大変に難しいことです。ところが今回お釈迦様は、「執着」に焦点をあてておられます。なるほど、たしかに「執着」をなくすことであれば、私のような者にも、まだ可能性があるかもしれません。無常を体験できていない(無明)、六根の防護も不十分(渇愛)な私ですが、「執着」に気付いて、「執着」を捨てるようにするのであれば、なんとか取り組むことができそうです。それにしても、私のような凡夫でも取り組めそうなことを説いて下さる、お釈迦様の智慧と慈愛は、本当に凄いです。そういう教えと出会えたことを大切に致します。
Upadhiに関して、「存在(有)の拠り所は、執著(固執)」・「執著=存在の拠り所と考えてよい」と説明して頂いたおかげで、十二因縁についての理解が深まりました。また、「わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。」の重要性についても、先生のご指摘で、はっといたしました。「ブッダは、伝承でもなく、人から聞いたことでもなく、憶測でもなく、自分自身が悟って、知ったことを、しかもそれを隠すことなく、ありのままに説くと言明している」ということを、いつの間にか当たり前として感じ、感謝の気持ちを忘れていました。先生の説明によって、そのことにも気付かせて頂きました。
本日も、ご指導ありがとうございました。
こころざし
2015年10月02日 07:48
おはようございます。
自分がこうなって欲しい、またはこうなってほしくないという事に執着して→それから外れると苦しむ状況が日常的にあります。
ですが、こちらで執着が苦しみを生む事・無常で常に変化していく事を教えて頂きました。それを元にして、その執着している事は本当にどれだけ大事なことなのか?(←そうではないのでは)と気が付く度合いが徐々に増えているように思います。
執着しない事、実践して参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
こころざし
2016年12月22日 19:58
意地をはり、その自分のプライドの範囲の最低ライン?的なものを満たさないと気が済まない様な執着があると、かなり生き難く成る経験をしています。また、そのプライド許容範囲の最低ラインを満たすことが出来た無かった時は、人格崩壊?に至りかねない要素も感じます。
こだわらず、失敗は素直に謝罪し「自分に出来る範囲しか出来ません」の姿勢であれば、楽になると思います。執着した生き方にならないようにしたいです。