最上の 理法を聞いて 歓喜して 気づきでおこない 執著超える<1054>

○少年少女のためのスッタニパータ<1054>
・・・
無明とは自分が有るかどうかわからない、
自分が何かわからない状態です。
執著はそのような自分に
執著することです。


第5 彼岸に到る道の章 5.メッタグー経(メッタグー学生の問い)6.

○中村元先生訳
1054
偉大な仙人さま。
わたくしはその最上の理法を受けて歓喜します。
その理法を知って、よく気をつけて行い、
世間の執著を乗り越えるでしょう。」


○正田大観先生訳
1061.(1054) 
〔尊者メッタグーが言った〕
「偉大なる聖賢よ、しかして、その最上の法(真理)を、
わたしは喜びます。
〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者が、それを知って、
世における執着を超えるであろう〔真実の法を〕」〔と〕。(6)


○パーリ語原文
1060.
タンチャーハン     アビナンダーミ
‘‘Tañcāhaṃ       abhinandāmi,
そしてそれを私は   喜びます

マヘースィ    ダンマムッタマン
mahesi       dhammamuttamaṃ;
大仙人よ     最上の理法を

ヤン    ウィディトゥワー  サトー      チャラン
Yaṃ     viditvā        sato        caraṃ,
それを   知って       よく気をつけて  行い

タレー         ローケー  ウィサッティカン
tare           loke      visattikaṃ’’.
乗り越えるでしょう  世間の    執著を


○一口メモ
メッタグー学生は二番目の質問に答えられた理法をまだ聞いてないのです。しかし、昨日の偈でブッダが「伝承よるのではなく、いま眼のあたりに体得された理法を聞いて、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えよ」言われたので、それに応えて、今回の偈を述べました。「偉大な仙人様」はブッダを指しているのです。

「世間の執著を乗り越えるでしょう。」について復習してみましょう。執著とは存在の拠り所でした。十二因縁の教えによれば、執著(固執)を縁にして存在(有)が生じるのでありました。つまり執著は存在の拠り所なのです。

存在の拠り所は、自分というものをあるかどうかわからないまま、自分が何かわからないまま、つまり無明のまま、自分が有るとして架空の自分を確立することです。それが存在の拠り所なのです。そして執著の意味は架空の自分を執著によって確立することです。


最上の 理法を聞いて 歓喜して 気づきでおこない 執著超える<1054>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎10月9日(金)から10月13日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年10月06日 04:05
おはようございます。
言葉の一つ一つに、メッタグーさんのお釈迦様への礼節が感じられ、とても好感がもてます。お釈迦様を「偉大な仙人さま」と呼び、教えを「最上の理法」として受けとめておられます。こういった姿勢、また、このような人格でないと、修業は進みませんね。他人への見せかけについては嘘をつけても、自分自身の心を偽ることはせきません。自分の正直な心を常に観詰めながら、励まねばならないと感じました。
また、「執着=存在の拠り所」について今回更に具体的に説明して頂きました。「自分というものをあるかどうかわからないまま、自分が何かわからないまま、つまり無明のまま、自分が有るとして架空の自分を確立することです。それが存在の拠り所なのです」。「そして執著の意味は架空の自分を執著によって確立することです」。先生の教えのおかげで、十二因縁について、より明確に理解することができました。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2015年10月06日 07:34
おはようございます。
以前自己啓発系?に走っていた頃、本当の自分とか使命とか魂論等々や、水晶を置くと心が透明になる?等々の話に浸かる様な自分がいました。一時心が明るくなる事があっても持続せず、何か違う印象を受けました。
無明がベースにあると、僕のようにさ迷うような流れになりかねないと思います。
こちらで学ばせて頂いて無明を破り、智慧を持ちたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
シンプルなネズミ
2015年10月06日 12:54
私は元々理想主義的な性格なのでしょう。それゆえに仏教に辿り着いたのですが、世の中の思想が仏教で統一されることはないでしょう。しかし仏教に縁のない理想主義者はどのように現実と折り合いをつけているのでしょう。
私は今だに宇宙を叱責します。理想を持つ人間を自殺させることがあなたの望みであるのかと。本当にやる気があるのかと宇宙に働きかけることが必要だと思っているようです。
私もぜんぜん人間臭さが抜ける気配はなさそうです。
しかし仏教は人間にとって奇跡的な最後の保険だと思っています。それは自分は消えるけど納得以外はない、本物の論理的な結論かと思います。

幸せでありますように。
こころざし
2016年12月23日 20:43
自分は本当にあるのか?みたいな視点は通常はないと思います。その反面、自分というものを強固に守り、危険に繋がる事は全力で避けようとする自分がいます。その執着ぶりは凄いと思いますが、そのこと自体も自覚がないのが普通かと自分をみて思います。
そのような無明の状態に気が付く学びを頂いていますが、、未熟な自分でまだまだ・・です。冥想実践を通じ智慧として分かる様に精進したいです。