欲のない 勇者がいると 聞いたので 寂静について 尋ねに来ました<1096>

○少年少女のためのスッタニパータ<1096>
・・・
欲望がない人がいるなんて
信じられませんが、
そのような方がいるならば
その人は死を恐れないのか


第5 彼岸に到る道の章 12.ジャトゥカンニン経(ジャトゥカンニン学生の問い)1.

○中村元先生訳
1096
ジャトゥカンニンさんがたずねた、
「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、
激流を乗り越えた人(ブッダ)に<欲のないこと>をおたずねしようとして、ここに来ました。
安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼のある方よ。先生! 
それを、あるがままに、わたくしに説いてください。


○正田大観先生訳
1103.(1096) 
かくのごとく、尊者ジャトゥカンニが〔言った〕
「わたしは、欲なき〔あり方〕を欲する勇者(ブッダ)のことを聞いて、
激流を超え行く方(ブッダ)に欲なき〔あり方〕を問い尋ねるために、やってまいりました。
〔知恵と〕共に生じた眼ある方よ、寂静の境処を説いてください。
世尊よ、それを、わたしに、真実のとおりに説いてください。(1)


○パーリ語原文
1102.
ストゥワーナハン    ウィーラマカーマカーミン
‘‘Sutvānahaṃ      vīramakāmakāmiṃ,
聞いて・私は       無欲の勇者だと

イッチャーヤスマー    ジャトゥカンニ
(iccāyasmā         jatukaṇṇi)
と・尊者          ジャトゥカンニンが(言った)

オーガーティガン    プットゥナカーママーガマン
Oghātigaṃ        puṭṭhumakāmamāgamaṃ;
激流を越えた      尋ねるために・無欲を・来た

サンティパダン   ブルーヒ      サハジャネッタ
Santipadaṃ      brūhi        sahajanetta,
寂静の境地を    説いて下さい  生まれながらの(眼のある方)よ

ヤタータッチャン    バガワー    ブルーヒ     メー    タン
yathātacchaṃ      bhagavā     brūhi       me     taṃ.
ありのままに      世尊よ     説いて下さい  私に    それを


○一口メモ
今回の質問者はジャトゥカンニン学生です。彼はブッダが無欲の方だと聞いたのです。彼にとっては無欲であるということは勇者なのです。彼は修行の中で無欲であることの難しさを感じていたのでしょう。

そこでジャトゥカンニンさんは、「<欲のないこと>をおたずねしようとして、ここに来ました。」とブッダに述べたのです。彼はそれが安らぎの境地(=寂静の境地)につながることを確信していたのです。


欲のない 勇者がいると 聞いたので 寂静について 尋ねに来ました<1096>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎11月20日から11月24日まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年11月16日 03:55
おはようございます。
「欲のないこと・欲なき〔あり方〕」と、「安らぎの境地・寂静の境処」を、ジャトゥカンニンさんはブッダに質問なさっています。バーヴァリさんのお弟子さんたちの質問は、アジタさんから始まって、今回のジャトゥカンニンさんで、合計11名になりますが、それらの方々の質問内容には、すべてに渡って一貫性があります。どうでもいいようなことは、一切質問されていません。バーヴァリさんの指導のもと、皆様がいかに真摯に真理を求めておられたかが察せられます。そういった意味においても、ブッダの教え自由にアクセスできる今の私たちは恵まれています。この第五章を学んでいると、たびたびそういった感慨が湧いてきます。本日も、ご指導ありがとうございました。
こころざし
2015年11月16日 07:12
おはようございます。
欲を持たないようにしようと思っても、実際は見てしまうと即に欲が出て、それを抑えれるかどうか・・の状況になると思います。
欲を抑えるとなると何処まで理性的に生きれるかという事にあり、それは何かで容易に理性が保てない状況にもなるように感じます。
こちらで教えていただく前は、欲望がないという事は普通はありえないとの印象でいました。そして理性的に生きようとしては失敗し・・を繰り返す面がありました。ですのでジャトゥカンニンさんの質問に(凡夫レベルで)共感致します。
離欲の生き方を目指したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
シンプルなネズミ
2015年11月17日 00:29
仏教も含めたあらゆる理屈は、意識のはっきりした人間として生きている間だけ、こねくり回すことができるのです。人間として生きているから、どうしても考えたくなるのです。
死後どこかに帰っていく場所があるはずという欲は釈尊の仏教では成り立ちません。そういった欲にまで人間の悲劇を感じてしまうのが仏教徒の特徴だと思います。
過去と未来の退廃性を知って今に住することでしょう。もっとも今この瞬間も頼りにならないものですが。ただ現実を見て、現実を諦める場所ですね(笑)
さて涅槃はどこにあるかと考えてもしかたがありません。

幸せでありますように。