欲望を 制し振舞う ブッダ様 生老捨てる 法を教えて<1097>

○少年少女のためのスッタニパータ<1097>
・・・
欲望を制した人の
振舞いはどんなものでしょうか?
急ぐことはないと思います。
また騒くことなく、静かでしょう。


第5 彼岸に到る道の章 12.ジャトゥカンニン経(ジャトゥカンニン学生の問い)2.

○中村元先生訳
1097
師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。
譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克つようなものです。
智慧ゆたかな方よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。
それをわたしは知りたいのです、
──この世において生と老衰とを捨て去ることを。」


○正田大観先生訳
1104.(1097) 
なぜなら、世尊は、諸々の欲望〔の対象〕を征服して、〔あるがままに〕振る舞うからです
――光り輝く太陽が、〔その〕輝きによって地を〔征服する〕ように。
広き知慧ある方よ、少なき知慧のわたしに、法(教え)を告げ知らせてください。
わたしが識知しなければならない、
〔まさに〕その、この〔世における〕生と老の捨棄〔という法〕を」〔と〕。(2)


○パーリ語原文
1103.
バガワー     ヒ      カーメー    アビブッヤ     イリヤティ
‘‘Bhagavā     hi      kāme      abhibhuyya     iriyati,
世尊は     何故なら   欲望を     征服して      振舞う(から)

アーディッチョーワ   パタウィン    テージー   テージャサー    
ādiccova          pathaviṃ     tejī       tejasā;
太陽が・ように      地を       威光のある  威光によって

パリッタパンニャッサ    メー    ブーリパンニャ
Parittapaññassa       me     bhūripañña,
小さい智慧の        私を    広大な智慧が

アーチッカ    ダンマン    ヤマハン     ウィジャンニャン
ācikkha      dhammaṃ    yamahaṃ     vijaññaṃ;
説いて下さい  法を       それを・私は   知りたいのです

ジャーティジャラーヤ   イダ      ウィッパハーナン
Jātijarāya          idha      vippahānaṃ’’.
生と老いとを        ここで    捨て去ることを


○一口メモ
前偈でジャトゥカンニンさんは、ブッダを欲望を求めない勇者として、安らぎの境地を尋ねました。今回は、欲望を制した方として、生と老いを捨て去ることを尋ねます。彼は欲望を制することによって、生と老いを捨てることができると考えているのです。このことは逆に考えれば理解できると思います。すなわち、生と老いを捨て去った人には、特に望むことはないのだろうと予想できるということです。

ここで少し注目することは、太陽の光が大地を光によって克服するように、欲望を乾燥させるような方法をイメージしていることです。あえて私の考え方を言えば、欲望を克服する方法を彼は知らないのだろうということです。中村先生の「ブッダのことば」の注によれば、「ウパニシャッドでも同様に言う」と書かれていますが、これは伝聞による知識なのです。だからブッダに質問したのです。


欲望を 制し振舞う ブッダ様 生老捨てる 法を教えて<1097>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎11月20日から11月24日まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年11月17日 04:04
おはようございます。
「『智慧の少ない私』に理法を説いて下さい」というジャトゥカンニンさんの言葉のなかの「智慧の少ない私」に、びりびりっと反応しました。ジャトゥカンニンさんとは
比べ物にならないほどの微々たる智慧しか備わっていない私ですが、それでも一緒に「理法を説いて下さい」とお願いしたいです。それにしても、ブッダの智慧を「光輝ある太陽」とされ、その光輝によって「大地にうち克つ」とは、凄い表現です。先生の解説「太陽の光が大地を光によって克服するように、欲望を乾燥させる」を拝読して、なおさらそう感じました。真理とは、そのように「ぞくぞくするような『凄み』」に満ちたものなのかもしれません。明日から、いよいよブッダの教えが説かれます。とても楽しみです。明日もまた、ご指導よろしくお願いいたします。
こころざし
2015年11月17日 07:37
おはようございます。
本文の「太陽の光が大地を光によって克服するように、欲望を乾燥させるような方法をイメージ」を拝見し、凄いなと感じました。太陽の光は静かに、そして確実に世を照らして下さると思います。そして洗濯物が乾くように欲望を乾燥させるような教え・・なのかな、と想像しました。
洗濯物は乾かないと大変です。欲望に溢れる状態から抜け出せるように学ばせて頂きたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように
てくてく
2015年11月17日 09:38
おはようございます。
てくてくと申します。
書き込み失礼致します。

『光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克つようなもの』とは、どういう様子なんだろう?と思いました。

自分は、この場面を朝陽が昇る頃の様子に重ねました。
朝陽が自らの光り輝きによって対する大地を照らすとき、その輝きによって、大地は同じように輝きだす。
そこには見るべき美醜は無くて、すべてのものが美しく輝いて見える。
そんな所には、欲は現れようもなくて、自分さえも、そこには現れないだろう。
ただ、すべてを美しく見る目だけがそこに現れている、というような様子かなと、自由に想像して楽しみました。
SRKWブッダ
2015年11月17日 10:57
光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克つようなもの...:

これは、大地は「光輝」ということについてどうして太陽に適わないのであるか? つまり、なぜ大地(=世間)は輝かないのですか?

と、問うているのである。

***
エル
2015年11月20日 19:33
太陽=ブッダであることは間違いないと思いますが、大地が何を例えているのかによって、微妙に例えが変わってくるように思いました。欲望、外道の修行者、質問者・・・。「世間」は思いつきませんでした。当時の知識人には共通認識があったのかもしれませんね。
てくてく
2015年11月21日 16:07
こんにちは。
てくてくと申します。
書き込み失礼致します。

太陽には陰影を作り出すものがありません。
それは、磨かれた珠のようです。

大地には、陰影を作り出すものがあります。
山や海、森や林、草や石。
世間はそれらを愛し喜びます。
大地からそれらを剥がしとり、珠のように磨いたら、大地も光り輝くのではないか、と思いました。