名色に 対する貪り 離れれば 煩悩なくなり 恐れることない<1100>

○少年少女のためのスッタニパータ<1100>
・・・
自分の思いや考えや
自分の身体にも
執着しないならば
悩み苦しみはなくなる


第5 彼岸に到る道の章 12.ジャトゥカンニン経(ジャトゥカンニン学生の問い)5.

○中村元先生訳
1100
バラモンよ。名称と形態とに対する
貪りを全く離れた人には、
諸々の煩悩は存在しない。
だから、かれは死に支配されるおそれがない。」


○正田大観先生訳
1107.(1100) 
婆羅門よ、全てにあまねく、名前と形態(名色:現象世界)について、
貪求〔の思い〕を離れた者には、
彼には、諸々の煩悩は見い出されません――
それら(煩悩)によって、〔世の人々は〕死魔の支配に行き着くのですが」〔と〕。ということで――(5)


○パーリ語原文
1106.
サッバソー     ナーマルーパスニン
‘‘Sabbaso      nāmarūpasmiṃ,
全く        名称と形態に対する

ウィターゲーダッサ     ブラーフマナ
vītagedhassa         brāhmaṇa;
貪りを離れた人には    バラモンよ

アーサワッサ   ナ     ウィッジャンティ
Āsavāssa      na     vijjanti,
煩悩は       ない    存在し

イェーヒ     マッチュワサン     ワジェーティ
yehi         maccuvasaṃ      vaje’’ti.
それらによって 死の支配に      行き着く・と


○一口メモ
今回はジャトゥカンニン経の最後の偈です。中村先生訳の始めの言葉「バラモンよ」とはジャントィカンニンさんにたいする呼びかけです。そして「名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。」という言葉はこの偈とこの経の眼目です。

名称と形態はパーリ語のナーマとルーパの訳ですが、名称とは心を意味しているのです。思いや考えのことです。そして、形態は身体や物質を意味しています。ですから、思いや考えや身体や物質に対する貪りを全く離れた人には、煩悩がない。つまり欲や怒りや無智がなく、悩み苦しむことがないと説かれているのです。

正田先生の訳にあるように、名称と形態は心(精神的なもの)と物質ですから現象世界と言うことが出来ます。現象世界は無限にあり、どの現象を取り上げて、いろいろ思うのは個人個人なのです。悲観的な人は悲観的な現象を取り上げて思い悩みます。また楽天的な人は楽天的な現象を取り上げて喜びます。ですから現象世界は個人個人が作っているとも言えるのです。

先日のパーリでのテロ事件にしても、それに反応して恐怖を持つ人もいれば、テレビもインターネットもない山奥でそのような事件を全然知らずに瞑想をしている人もいます。それらを良い悪いとは言えません。現象世界はその人の関心のある一部に向けられているのです。どんな現象世界に対しても、自分が選択した現象世界ですが、ただ反応するのではなく、その現象を選択した(作った)のは自分なのだと自覚して、現象に執着しないで、それを選んだ(作った)自分に関心を向けて下さい。どんな場合でも自分が問題なのです。この自分は外の現象を選ぶことができるのです。他の現象を選べば現象世界は変わります。それにより心は騒がしくも静かにもなります。すべての現象世界への貪りを離れれば、すべての煩悩がなくなります。

ということで明日からは、バドラーヴダ経(バドラーヴダ学生の問い)が始まります。


名色に 対する貪り 離れれば 煩悩なくなり 恐れることない<1100>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎11月20日から11月24日まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年11月20日 04:07
おはようございます。
「こころざし」さんが、18/Novのコメントで触れておられるように、先生の「欲望を持ってはいけないと思うのではなく、『その欲望に執着しなければ』、その欲望を持つ自分を観察することが出来ます」という教えには、私も「こころざし」さんと同じく、先生に救われたような気持ちでした。今回の偈では「『名称と形態』、『ナーマとルーパ』、即ち『生存の全て』について、貪りを離れよ」との教えになっています。しかしながら、私のような凡夫にとっては、「生存の全て」となると、さすがに途方に暮れてします。もちろん、「生きていきたい・死にたくない」という気持ちは、原始脳に起こる感情の指令であることは、スマナサーラ長老から繰り返し教わっています。とはいうものの、いざ実践となると、どうしていいかわからずに立ち止まってしまいます。なぜならば、「欲望が生じる」ことは、いかんともし難いからです。そのとき、「その欲望に執着しなければ」、次のステップへの足掛かりになる、という教えを知ると、「よし、また頑張るぞ」、という意欲が湧いてきます。もちろん、こんなことを言っている私は甘いのですが、それが今の私の正直な状態なので、そこから始めるしかありません。さらに、昨今のパリにおけるテロ事件を取り上げて頂き、それらを知ること自体が、「自分が選択した現象世界」なのだから、そんな「現象に執着」することなく「それを選んだ(作った)自分に関心」を向けるべきである、とされる先生の教えは、より具体的な指針となりました。なぜならば、欲望は、「自分が選択した現象世界」において生じているからです。いつもご指導ありがとうございます。
こころざし
2015年11月20日 07:31
おはようございます。
パリでのテロに心を痛めている一人です。ですが幸いと言ってよいのか分かりませんが、僕の日常でそのような状況は無縁です。
本文の「自分は外の現象を選ぶことができる・・それにより心は騒がしくも静かにもなります」に共感致します。昨日私は福祉施設で2才~小1迄の子供10数人に数時間遊んで頂きましたが、色々な境遇からくるものを感じ考えそうになる面がありました。
自分に出来る事をやらせて頂いた後思考を膨らませず、サティを大切にして今を生きる姿勢で心静かに過ごして参りたいと思います。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように