十六人の 学生達が 釈尊に 質問するため 近づき行った<1124~1126>

○少年少女のためのスッタニパータ<1124~1126>
・・・
ブッダと学生達との対話は
何時に始まって
何時に終わったのだろう。
この対話を読んだ人の中に
悟った人がいるのではないかな。


第5 彼岸に到る道の章 18.彼岸に到る道の結語 1.2.3.

○中村元先生訳
1124
アジタと、ティッサ・メッテイヤと、プンナカと、メッタグーと、ドータカと、ウバシーヴァと、ナンダ、またヘーマカと、


1125
トーデーヤとカッパとの両人と、賢者なるジャトゥカンニンと、バドラーヴダと、ウダヤと、ポーサーラ・バラモンと、聡明なモーガラージャと、偉大な仙人であるピンギヤと、──


1126
これらの人々は行いの完成した仙人である目ざめた人(ブッダ)のもとにやってきて、みごとな質問を発して、ブッダなる最高の人に近づいた。


○正田大観先生訳
1131.(1124) 
アジタ、ティッサ・メッテイヤ、プンナカ、しかして、メッタグー、ドータカ、ウパシーヴァと、ナンダと、しかして、ヘーマカ――(1)


1132.(1125) 
トーデイヤとカッパの両者、賢者たるジャトゥカンニと、バドラーヴダ、ウダヤと、さらには、ポーサーラ婆羅門と、思慮あるモーガラージャンと、偉大なる聖賢のピンギヤと――(2)


1133.(1126) 
これらの者たちは、覚者(ブッダ)のもとへと、行ないを成就した聖賢のもとへと、近づき行った。〔彼らは〕諸々の精緻なる問いを尋ねる者たちとして、最勝の覚者のもとへと近づき行った。(3)


○パーリ語原文
1130.
アジトー    ティッサメッテッヨー
Ajito       tissametteyyo,
アジタ     ティッサ・メッテイヤ

プンナコー    アタ    メッタグー
puṇṇako      atha    mettagū;
プンアカ     そして   メッタグー


ドータコー    ウパスィーウォー   チャ
Dhotako      upasīvo         ca,
ドータカ      ウパシーヴァ      と

ナンドー    チャ   アタ     ヘーマコー
nando      ca     atha     hemako.
ナンダ     と     そして   ヘーマカ


1131.
トーデッヤ・カッパー    ドゥバヨー
Todeyya-kappā        dubhayo,
トーデイヤとカッパの    両者

ジャトゥカンニー   チャ    パンディトー
jatukaṇṇī        ca      paṇḍito;
ジャトゥカンニ     と     賢者たる

バドゥラーウドー   ウダヨー    チャ
Bhadrāvudho      udayo      ca,
バドラーヴダ      ウダヤ     と、

ポサーロー   チャーピ   ブラーフマノー
posālo       cāpi      brāhmaṇo;
ポーサーラ   さらには   バラモン

モーガラージャ   チャ     メーダーウィー
Mogharājā       ca      medhāvī,
モーガラージャ   と      聡明な

ピンギヨー    チャ   マハースィ
piṅgiyo       ca     mahāisi.
ピンギヤ     と     大仙人

1132.
エーテー   ブッダン     ウパーガッチュン
Ete       buddhaṃ     upāgacchuṃ,
これらは   覚者に      近づいた

サンパンナチャラナン   イスィン
sampannacaraṇaṃ      isiṃ;
行ない具わった       仙人

プッチャンター    ニプネー   パンヘー
Pucchantā       nipuṇe     pañhe,
尋ねようと      聡明な     質問を

ブッダセッタン      ウパーガムン
buddhaseṭṭhaṃ      upāgamuṃ.
ブッダ・最高の      近づいた


○一口メモ
「彼岸に到る道の結語」の始めの三偈は以下の16人のバーヴァリ・バラモンの高弟(学生)が質問するためにブッダに近づいたことを述べています。皆さんはそれら一人一人の質問とそれに対するブッダの解答を思い出して下さい。

1.アジタ
2.ティッサ・メッテイヤ
3.プンナカ
4.メッタグー
5.ドータカ
6.ウバシーヴァ
7.ナンダ
8.ヘーマカ
9.トーデーヤ
10.カッパ
11.ジャトゥカンニン
12.バドラーヴダ
13.ウダヤ
14.ポーサーラ
15.モーガラージャ
16.ピンギヤ


十六人の 学生達が 釈尊に 質問するため 近づき行った<1124~1126>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎緊急連絡:本日12月15日(火)の夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は休みます。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年12月15日 03:55
おはようございます。
感傷的になってはいけないのは十分判っているのです。ですが、それでも、バーヴァリさんのお弟子さんであり、同時に聖者の境地に達しておられた方々のお名前を再度読むと、感慨ひとしおになってしまいます。最初はサーヴァッティを目指して出発され、その後ご苦労を重ねながら、漸くブッダのおられるマガダ国のパーサーナカ霊地に辿りつかれました。そして、真理を知るために、次々とブッダへ質問なさいました。経典についてこんな感想は不謹慎なのですが、第五章には、「詩」のような深遠さを感じてしまいます。まるで、私まで、旅の一行の末席に加えて頂けたような錯覚に陥ってしまいます。でもこれは妄想です。感情が揺さぶられています。いけませんね。私は修業が足りません。第五章での教えを無駄にしないよう、心して励みます。本日も、ご指導ありがとうございました。
こころざし
2015年12月15日 06:01
おはようございます。
16人の方がご質問下さった事、そしてお答えくださったブッダ、それを教えて下さったワンギーサ長老のお陰様で貴重な学びの機会を頂けました、心より感謝に思います。
一個人の感想になりますが、16人の方が修行の結果お持ちになられていた思考的なもの(概念?)が落ちて、静かな心の安らぎ的なものを得られた印象を感じます。これは以前熱海で、漂流していたような自分の心が、ワンギーサ長老に面談頂いて頂戴したアドバイスのお陰様でその思考・妄想的な流れを捨てる(やめる)事に気が付いて、そして素直に修行させて頂きたいと心から思えた時の安らぎが少し似ているのかもと想像致します。
教えて頂きました事を元に、さらに成長して参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
エル
2015年12月15日 08:15
ブッダは「行いを完成した」存在として要約されています。この章におけるブッダの本質を的確に表していると思いました。
 16人の質問とそれに対する回答が断片的にしか思い出せませんでした。ノートに要約してまとめます。
SRKWブッダ
2015年12月15日 10:26
ブッダの知人だから仏弟子なのではない。ブッダと個人的に親しいから仏弟子なのでもない。

ブッダに見事な問いを発し、ブッダの口からこの世で初めての経(真理の言葉)を誦出せしめた人こそが仏弟子と呼ばれる。そこには確かな仏縁が認められるからである。

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