譬えなき 不動の境地に 到ること 確信したと 認めて下さい<149>

○少年少女のためのスッタニパータ<1149>
・・・
仏教の信とは
自分を信じること。
解脱できることを
信じること。


第5 彼岸に到る道の章 18.彼岸に到る道の結語 26.(19)

○中村元先生訳
1149
どこにも譬うべきものなく、奪い去られず、動揺することのない境地に、
わたくしは確かにおもむくことでしょう。
このことについて、わたくしには疑惑がありません。
わたくしの心がこのように確信して了解していることを、お認めください。」


○正田大観先生訳
1156.(1149) 
それには、どこにも喩えが存在しない、
不動で、揺るぎない〔境地〕へと、
〔わたしは〕確実に至るでありましょう。ここにおいて、わたしに、疑いはありません。
このように、わたしを、〔涅槃へと〕心が信念した者と認めてください」〔と〕。ということで――(19)


○パーリ語原文
1155.
アサンヒーラン     アサンクッパン
‘‘Asaṃhīraṃ      asaṅkuppaṃ,
奪われない       動揺しない

ヤッサ    ナッティ    ウパマー   クワチ
yassa     natthi      upamā     kvaci;
それは    ない      喩えが    どこにも

アッダー    ガミッサーミ     ナ    メッタ      カンカー
Addhā      gamissāmi      na     m‘ettha     kaṅkhā,
確かに     私は行くでしょう  ない   私に・ここに   疑いは

エーワン    マン     ダーレーヒ    アディムッタチッタンティ
evaṃ      maṃ      dhārehi      adhimuttacitta’’nti.
このように   私を      認めよ      心が決心した者と・と


○一口メモ
ついに、スッタニパータの最後の「第5彼岸に到る道の章」の最後の偈の掲載が終わります。
スッタニパータの偈の解説を始めたのは2013年4月1日でしたから、三年近くスッタニパータに取り組んできたことになります。今思えば、恐れを知らぬ挑戦をしてきたようにも思いますが、皆さまのご支援で終わりまでやり遂げることが出来ました。心から感謝を申し上げます。具体的には、皆さまのコメント、また多くの方に読んで頂いているということがこのブログを継続する力になったのです。

さて、今回の偈でありますが、スッタニパータの最後の偈にふさわしく、仏教の信について述べられています。「どこにも譬うべきものなく、奪い去られず、動揺することのない境地」とは涅槃の境地ですが、ピンギヤさんはこの境地に到ることを確信したのです。そして、彼は「このことについて、わたくしには疑惑がありません。」と明言したのです。これこそが仏教の信です。


譬えなき 不動の境地に 到ること 確信したと 認めて下さい<149>



○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎本日で、スッタニパータのすべての偈の解説が終了しました。皆さまのご支援を感謝いたします。
明日からは、皆さまの要望の多かったスッタニパータの復習を致します。しかし、あらかじめ申し上げておきますが、第3章については省略しますのでご了承をお願いいたします。どうして第三章も復習されたい方は過去の解説記事がありますので、それを参照して下さい、掲載の形式について、始めは今まで通りですが、少しずつ変更して行こうかと思います。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。ランキングが上昇すると閲覧者が増えると思われるからです。御支援をお願い致します。

この記事へのコメント

kempsford
2016年01月12日 03:54
おはようございます。
私はピンギヤさんのような尊い境地には達していません。ですが、本日述べられた「疑惑がありません」という点では、同じです。ここまで導いて下さったワンギーサ長老に、改めて感謝申し上げます。ご指導ありがとうございました。

★今後に関する私の希望…明日よりまたスッタニパータをご指導して頂けることを決めて頂きました。感謝にたえません。ありがとうございます。ご指導を無駄にしないよう、精進致します。
kempsford
2016年01月12日 03:55
●今までの感想…ワンギーサ長老へのお礼
スッタニパータの難解さは、スマナサーラ長老が繰り返し仰っています。その際、「スッタニパータを理解したなどと、決して安易に考えてはならない」と、厳しく戒めておられます。にもかかわらず、ワンギーサ長老は、私たちを導くために、この難解なスッタニパータに果敢に取り組んで下さいました。その勇気には、心から敬服致します。と、同時に、リスクをおかしてまで私達を指導して下さる、ワンギーサ長老の慈愛に、深く感謝申し上げます。また、パーリ語原文だけでなく、複数の日本語訳まで掲載して下さり、さらに、時宜に応じて、注釈書の内容までも紹介して頂くなど、とても丁寧な解説を施して下さいました。そこに費やされたお手間をお察しすると、申し訳ない気持ちで一杯になります。ワンギーサ長老の慈愛を決して無駄にしないよう、精進致します。ありがとうございました。

◆今までの感想…コメントを書き込んで下さった法友の方々へのお礼
法友の皆様のコメントを拝見することで、何度も貴重な勉強をさせて頂きました。その中でも特に強く印象に残っているのは、「こころざし」様のコメントです。なぜならば、学んだことを、実生活や職場で真摯に実践なさっておられるからです。昨年12月の一か月間だけでも、21/Dec・17/Dec・14/Decのコメントには、とても深い感銘を受けました。私も「見習わねばならない」と痛感致しました。また、「エル」様の9/Jan/2016のコメントでは、「少年少女のためのスッタニパータ」の素晴らしさに初めて気付かせて頂きました。このように、法友の皆様からたくさん学ばせて頂きました。深く感謝致します。また、そのような交流の場を提供して下さった、ワンギーサ長老にも、改めて感謝させて頂きます。ありがとうございました。
こころざし
2016年01月12日 06:02
おはようございます。
本文の「自分を信じ・・解脱できることを 信じること」を拝見しハッとしました。解脱を目指す姿勢はありますが、そこまで至ると自分を信じているかと言えば、預流果に至れるか?程度が本音と思います。「信が足りない」と思いました。
ノルマを達成する様に解脱を目指すという意味ではないと思いますのでそんな執着は捨てますが、真の意味で自分を信じそして解脱が出来るように精進したいです。

★再びスッタニパータを解説下さるワンギーサ長老の厚意を心より感謝致します。毎日の機会を宝にしながら、成長出来るように精進して参ります

◆今までの感想
ワンギーサ長老のブログから少しずつ毎日学ばせて頂く事で、心で考える機会を頂きました。ダンマパダ・スッタニパータ(こちらは私はまだ途中状態です)を一通り学ぶ機会を頂けました事でつかむものがあり、スマナサーラ長老が教えて下さっている事もより捉えやすくなったと実感しています。こちらでの学びがなければ今の自分はありません、感謝の言葉しかありません。心よりお礼を申し上げます。

こころざし②
2016年01月12日 06:03
◆今までの感想
(kempsford様のコメントを模して記載させて頂いています)kempsford様・皆様のコメントを拝見する事で違った角度から教えて頂く事がありました。また、コメントを拝見する事が本文を読み返す流れにもなり重ねて勉強出来る機会を頂けましたと心より感謝しています。

kempsford様ご指摘の「学んだことを、実生活や職場で真摯に実践なさっておられるからです」ですが、ワンギーサ長老よりアドバイスを頂きました。それまでは(今もそうですが)未熟者で、本文のキーポイント的に指摘に感じた事を繰り返す様なコメントでした。言葉で・知識で分ったような上滑り状態だったと反省しています。
実生活から実感している事を踏まえてコメントする事で、ではどうするのが良いのかを考える・その後実践していくきっかけとなっています。有難い事と感謝しています。
今後もワンギーサ長老・kempsford様・皆様、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
シンプルなネズミ
2016年01月12日 13:17
長い間お疲れ様でした。今後もブログを継続されることはまた多くの方の励みになられるのではないかと思います。

様々な説法や文章を目にしてきた限りでは、やはり仏教の確信とは預流果に達してから不動のものになるということが定説なのかなと思っています。
果たして私は阿羅漢果に達しようとする覚悟があるのでしょうか。全く頼りないとしか言いようがないですね。それどころか純粋に哲学的な探究心、使命感で阿羅漢にまで達した人々はもはや人間としての次元が違うのでしょう。自分はありきたりな現代人なのだとしか思えません。

単純に「今」を信じているということは、必然的に「自分」が構築されてしまっているのかもしれません。すると苦から逃れることができないのかもしれません。そもそも根本的に「今」や「自分」が成立する必然性はあるのかと問い詰める観点で考えています。自分という固定的な意識、前提がなければ痛みに対する心身の反応に引きずられず、冷静に「こころの平安」は確保されるのかなと思っています。爆発的な痛みに対してはどうなのかなとは思いますが…。とにかく自分が生起してしまうかどうかが仏教のポイントなのだと思います。
初歩的なことかもしれませんが、その辺りのことを改めて考えていました。

幸せでありますように。
SRKWブッダ
2016年01月12日 15:13
仏教の要諦は、真実のやさしさの追求である。何となれば、仏とは真実のやさしさの相に他ならないからである。

中途半端な覚りでよいなどと言う者は、「私は中途半端にやさしい人間で充分です 他人が悲しんでいても知ったことじゃありません」と言っているとの変わりがない。

美辞麗句を口にしようとも、言っていることとやっていること(望んでいること)が真逆であるならば、たとえ正しい道を歩んだとしても心が引き裂かれ、地獄に堕ちてしまうだろう。

この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)を求める人は、心構え正しくあれ。その上で修行に勤しめ。功徳を積む人が、覚りの機縁を生じて、ついにニルヴァーナに至るのである。仏教は、誰もが覚り得ると説くが、誰でも覚れるとは説かない。汚れが消え失せるまでは、修行者は油断してはならない。

***
エル
2016年01月12日 21:58
 ワンギーサ先生、スッタニパータのご講義、ありがとうございました。感動的な最後でした。先生の勇気とエネルギーにはただただ敬服するばかりです。さらに講義の継続をお決めくださって、ありがとうございます。
 途中から読者となりましたが、仏教を学び、実践していけばこの社会でも成功し、さらに悟りに至ることも可能であることを、じっくり考えることができました。スマナサーラ長老のご著書・ご講演から学んだことは、条件をそろえられれば「誰でも成功できる」という合理的・一般的な側面で、このブログを通して学んだのは、「私が成功できる」という自分の日々の生活・実践に根差した側面でした。ご指導、ありがとうございました。
 コメントを投稿するに当たって、目的と手段、事の経緯、自分はどうしたいのか、こういったことさえも言語化するのが難しく、自分の認識の曖昧さを痛感しました。他の方々の投稿は、励みになった、勉強になったというばかりではなく、自分の曖昧な認識を整理し理解する上でも大変参考になりました。皆様、ありがとうございました。
 古典が現代に活きるためには、日頃よく引用されることや現代風にアレンジされることが必要だと思います。そういう意味でも「少年少女のためのスッタニパータ」のファンが増えることを密かに願っております。
 ワンギーサ先生、皆様、また明日からもよろしくお願いいたします。
巾着飴入れ
2016年01月13日 00:09
以前は仏教を学ぶのに、酒を飲まないとやってられませんでした。不真面目に生きてたので、まじめな言葉を読むのがつらい時もあり、そのために酒を飲んで、読ませていただいたこともあります。それでも、何年かたちやってきてよかったなと思います
 
今では仏教に触れることが楽しく、より楽しみたいために酒は飲む暇がありません

頭がさえてることが楽しく感じられるようになりました。
生きとし生けるものに感謝します