束縛を 牡牛の如く 断ち切って 神望むなら 雨降らせよと<再29>

○ワン爺さんの独り言<29>
・・・
財産や家族が
束縛とは思えなくとも
それらのために
苦労して悩むことは
確かでしょう。


29.第1 蛇の章 1ダニヤ経 12.

○毎田周一先生訳

牡牛のように束縛を断ち切った
           と世尊はいわれた
象がつる草を踏みにじってゆくように
私はもう二度と母胎に帰ることはない
さあ若し降らそうと思うなら 神よ雨をふらせるがよい


○中村元先生訳

師は答えた、
「牡牛のように結縛を断ち、
臭い臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、
わたしくしはもはや母胎に入ることはないであろう。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」


○正田大観先生訳

世尊は〔答えた〕「雄牛のように、諸々の結縛を断ち切って、
象が蔦葛[つたかずら]を〔踏み敷く〕ように、〔諸々の束縛を〕踏み砕いて、
わたしは、胎内へとふたたび近づき行くことはないでしょう。
しかして、天よ、もし、望むなら、雨を降らせよ」と。


○パーリ語原文

ウサボーリワ  チェトゥワ   バンダナーニ
Usabhoriva    chetva      bandhanāni,
牡牛のように  切断して    結縛を

イティ   バガワー
(iti     bhagavā)
と     世尊は

ナーゴー  プーティラタンワ     ダーライトゥワー
Nāgo     pūtilataṃva        dālayitvā ;
象は    臭いつる草の・ように  踏み砕いて

ナーハン    プヌペッサン   ガッバセッヤン
Nāhaṃ      punupessaṃ    gabbhaseyyaṃ,
私は・ない   再び近づく     母胎に

アタ   チェー   パッタヤスィー   パワッサ    デーワ
Atha   ce      patthayasī      pavassa      deva.
また   もし    望むならば     雨を降らせ   神よ


○一口メモ
前回、牛飼いダニヤさんは、自分の牛たちをしっかりと確保するために、杭を打ち込み、新しい縄を編んだのですが、世尊は俗世間と絆である結縛(執着)を断ち切ったのです。それは牡牛が結び綱を断ち切るように、象がつる草を踏みちぎるように、しっかりと断ち切ったのです。

世尊には、牛や財産が悩み苦しみの原因であることが分かり過ぎるほど分かるのですが、ダニヤさんは分かりません。いつまでもそれらに執着しているのです。

世尊は、さらに次のように言います。「わたしは、胎内へとふたたび近づき行くことはないでしょう。」これは輪廻して、再び生まれ変わることを拒否したのです。これは輪廻することの苦しみを知りつくしたからです。これは、もっと生きたいという本能を拒否したのです。これは苦しみの原因である渇愛を克服したことです。渇愛を克服した人は、すべての苦しみを克服した阿羅漢なのです。

阿羅漢ならば「神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」と言う資格があるのです。実際に大雨が降っても何も問題ないからです。


○前回のこの偈の解説

束縛を 牡牛の如く 断ち切って 神望むなら 雨降らせよと<29>
http://76263383.at.webry.info/201304/article_29.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎2月11日から2月15日まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年02月10日 03:54
おはようございます。
なにかを繋ぎとめようとしても、それは不可能です。色(物質)も名(心)も、
すべてが常に変化し続けます。でも私などは、ついつい「他者の心は変わらぬこと」を期待しがちです。自分の心さえ繋ぎ止められないのに、実に勝手なものです。「杭」だの「縄」などに頼って、無常に逆らうなど、愚かなことです。「俗世間と絆である結縛(執着)を断ち切る(ワンギーサ長老)」ことを目指します。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年02月10日 07:40
おはようございます。
血縁関係者に、世間一般で言う成功者がいます。会社が成功して・・の人に、何故かお金を恵んでくれないか?との思考が、生活には困っていない自分の中にでます。卑しい限りです。
また血縁ですが普段ご縁のない方が躓くような事があると、まるで事件のように家族で話題になっていたりします。
そのような事から、自らを束縛している様子を感じます。
そのようなものは捨て、自由で執着がない生き方を目指したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
エル
2016年02月10日 10:34
世間的な基準では間違いなく大成功している先輩に話を聞くと、冷めているというか、淡々としています。こだわりや思い込みがない方が大局的にものを見られるので、自分の立ち位置や打つべき手が楽にわかるのでしょう。それが出世間のレベルで究極までいくと解脱になるのだと思います。
シンプルなネズミ
2016年02月10日 16:21
認識機能そのものが自分と言えば自分なのです。同一性を保ちますから。
でもしょせん自分以外のものに依存して成り立つ自分です。それが厳密に自分なのでしょうか。そして細かく分析しても「自分」を捉えられる瞬間はやってきません。それに事実上、我々は物質と認識機能しか知らないのです。どこまで行ってもそれしかないのですから、それに価値を見いだそうにも他の比較対象もないのです。宇宙とはひたすら物質です。認識です。そして全ては壊れる運命です。ハッピーな気持ちで死ぬことはまずありません。

宇宙とは一人の人間の絶望が増大してくる類の性質を持っています。最終結論は輪廻からの脱出しかないですね。それは仏教徒にとっては普通の意味での消えるということとは大分ニュアンスが違うということですね。「楽になること」であり、理性、なんらかの善なるものの延命ですね。正直なところ生きている人間のための仏教でしょうね。あやふやな人間というものですね。

幸せでありますように。
SRKWブッダ
2016年02月10日 22:53
疑り深く、努力を惜しむ性質の者は、たとえば知恵の輪がなかなか解けないと、「この知恵の輪は実は解けないというのが答えである」などと主張する。

信仰心を欠き、精励することの無い者は、自らの学識を豊かならしめるっことが出来ず、「智慧を得ることなど誰にもできない 覚り(=解脱)など実は存在しない 苦の輪廻を断ち切ることなど不可能だ」などと言う。

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