雨が降り 平地台地に 水溢れ ダニヤはついに この意味分かる<再30>

○ワン爺さんの独り言<30>
・・・
災難に遭って
真実に気づけたら
災難は幸運だと
思うべきだろう。


30.第1 蛇の章 2.ダニヤ経 13.

○毎田周一先生訳

平地にも丘にも溢れるほど
みる間に大きな雲が雨を降らせた
神が雨を降らせるのを聞いて
牛飼は次のようにいった・・・


○中村元先生訳

忽(タチマ)ちに大雲が現われて、
雨を降らし、低地と丘とをみたした。
神が雨を降らすのを聞いて、
ダニヤは次のことを語った。


○正田大観先生訳

低地と高地とを潤しながら、
まさしく、ただちに、大雲が雨を降らせた。
天が雨を降らせるのを聞いて、
ダニヤは、この義(意味)を語った。


○パーリ語原文

ニンナンチャ   タランチャ   プーラヤントー
Ninnanca     thalanca     pūrayanto,
低地・と      高地・と     水を溢れさせながら

マハーメーゴー  パワッスィー   ターワデーワー
Mahāmegho     pavassi      tāvadeva;
大雲が       雨を降らせた  ただちに

ストゥワー   デーワッサ   ワッサトー
Sutvā      devassa     vassato,
聞いて     神が      雨を降らせるのを

イママッタン     ダニヨー    アバーサタ
imamatthaṃ     dhaniyo     abhāsatha.
この意味を     ダニヤは    語った


○一口メモ
真っ黒な大きな雨雲は空いっぱいに広がり、神はついに滝のような大雨を降らせました。マヒー河は氾濫し、激流となって、牧草の生い茂る沼地はもちろんのこと、高台すらも水が襲い掛かっています。まさにそれは大津波のようです。杭につながれた牛たちも、その他の牛たちも一たまりもなく流されて行くのです。どうすることもできません。

牛飼いのダニヤさんはついに、世尊の言葉を理解したのです。子牛も乳牛も子を持つ牛も処女牛も牡牛も、それらに基づく生活や仕事も、それに依存する幸福や成功が確実なものでなく、誇ることができるものでないことを理解したのです。人間にとって何が大切なことか、世尊の言葉、教えを理解したのです。

自然の力、無常の真理とは、無常とは無情です。残酷なように見えますが、ダニヤさんにとって真理に眼を向けるきっかけになったという意味では幸運であったと思います。


○前回のこの偈の解説

雨が降り 平地台地に 水溢れ ダニヤはついに この意味分かる <30>
http://76263383.at.webry.info/201304/article_30.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎今日2月11日から2月15日まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年02月11日 03:50
おはようございます。「しかし、遠くの空に黒雲が見えています」と、ワンギーサ長老が毎回仰っておられた意味が、この偈でやっと判りました。だからダニヤさんは、だんだんと「心配になって来た」のですね。「マヒー河の辺りの沼地では大雨になったら大変」であるにもかかわらず、ダニヤさんは「根拠のない期待」に頼っていたことになります。「神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ」と言える根拠はどこにもありませんでした。真理の凄みに背筋が凍ります。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年02月11日 06:20
おはようございます。
私事ですが、(当時の)誠心誠意心を込めて働かせて頂いた転職先をクビになり「生活はどうするの」と家族に責められ、耐えれず死のうとした事があります。結局今も生きています。
そんな(自分なりの)悲惨体験のお陰様で法に出会い、今修行する流れを頂いています。有難く思います。
当時の精神状態を思いますと、自分が勝手に設定したノルマを果たそうと懸命で常に不安定で、周囲にも良い影響を与えていませんでした。
今は、今のサティに努めようとしています。当時と比べ物凄く心は落ち着いている様に感じます。
さらに修行を進めて参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
エル
2016年02月11日 11:23
 災難・不幸・失敗の後に法に出会って価値観が変われば、「災い転じて福となす」状況になります。「価値観が変わる」というところがポイントだと思いました。
 ただ単に、以前求めていたものの価値を下げて自己防衛する、同水準の目標に向っての仕切り直しをするだけの結果では、一時的な気休めにしかならず、不十分だと思います。
 不幸を経験するのは誰しもあることですが、それによって根本的な価値観まで変わるのはかなり珍しいことだと思います。ダニヤさんの例でいけば、灌漑設備を設ける、別の土地を取得する等の「新規事業」に尽力する、祭壇を設ける等、世俗的な幸福を求めて別の方法を模索するのが普通です。
 私は人生が順調に進まず、「順調」という幸福観に対して迷いが生じました。仏教が真理であるという見込みはあるのですが、価値観までは変わっていません。そこまでいかないと、「迷い」の延長で終わってしまいます。確信に至らねばという気持ちが、自分の中に生まれてきました。