世尊言う 家族と財産が 拠り所 拠り所こそが 悲しみのもと<再34>

○ワン爺さんの独り言<34>
・・・
世間の常識は
悪魔の甘いささやきです。
ブッダの言葉は
甘くはないが真の幸福論です。


34.第1 蛇の章 2.ダニヤ経 17.

○毎田周一先生訳

子を持つものは子ゆえに悲しむ
             と世尊はいわれた
牛を持つものは同じく牛ゆえに悲しむ
拠り所こそ人の悲しみである
拠り所をもたないものに悲しみはない


○中村元先生訳

師は答えた、
子のある者は子について憂い、
また牛ある者は牛について憂う。
実に人間の憂いは執著する元のもののない人は、
憂うることがない。」


○正田大観先生訳

世尊は〔答えた〕「子をもつ者は、子たちについて憂う。
まさしく、そのように、牛をもつ者は、牛たちについて憂う。
まさに、諸々の依存〔の対象〕は、人の憂いである。
依存〔の対象〕なき者――彼は、まさに、憂うことがない」と。


○パーリ語原文

ソーチャティ   プッテーヒ  プッティマー
Socati       puttehi     puttimā,
悲しむ      子によって  子を持つ人は

イティ   バガワー
(iti      bhagavā)
と     世尊は

ゴーピヨー   ゴーヒ    タテーワ    ソーチャティ
Gopiyo      gohi     tatheva     socati;
牛を持つ人は  牛によって そのように   悲しむ

ウパディ   ヒ    ナラッサ    ソーチャナー
Upadhī    hi     narassa    socanā,
依存は    実に   人々の     悲しみ

ナ   ヒ   ソー  ソーチャティ  ヨー    ニルーパディ ティ
Na   hi    so    socati      yo     nirūpadhī’’  ti.
ない 実に  彼は  悲しま     者は   依存のない  と


○一口メモ
牛飼いのダニヤさんの決意を妨害できないでいる悪魔パピーマンに対して、世尊(ブッダ)は最後の一撃の言葉を発するのです。それは悪魔と同じ形式で一言を変えたものでした。それだけに、悪魔はオウンゴールのような打撃を受けるのです。

「子供がいるから、苦しむのだ、子供ゆえに不幸になんだよ。
財産があるから、その維持するために苦しみ、悩むのだ。
人々は、財産や家族があるから不安なんだよ。
それのない人、そのような拠り所のない人は不安や恐怖がなく、安心で自由なのだ。」

悪魔は反論の余地がなく退散しました。ブッダとダニヤ夫婦の勝利に終わりました。

ダニヤ経は、牛飼いと言う現代の日本人にとっては、少しかけ離れた話しのように見えますが、幸福論という視点で見直して見ると、現代の私たちの問題と直結している話しなのです。すなわちそれは、ダニヤの言う俗世間の幸福論に対して、ブッダの教える真の幸福論(出世間の幸福論)をダニヤとブッダの対話で通して教えるものです。

俗世間の幸福論は、家族や財産に依存することです。それは幸福論とは言いながら、人々に悩み苦しみを与えものです。大昔から人々はその幸福論に基づいて生活して、苦しみ、悩み続けています。そこから抜け出すことができずに、失敗を繰り返しているのです。しかし、人々はその幸福論に従って生きているのです。

それに対して、ブッダの幸福論は、ブッダに教えてもらわなければ、分からないことなのです。家族や財産に依存するではなく、それらに依存せず、自立し、自由であること、これが真の幸福であると言うのです。これは今までの常識とは異なるため、理解が難しく、実践は困難な課題です。しかし、よく考えて理解すれば、これこそが真の幸福だと分かります。理解すれば、困難を乗り越えることができます。ですから、先ず理解して下さい。


○前回のこの偈の解説

世尊言う 家族と財産が 拠り所 拠り所こそが 悲しみのもと<34>
http://76263383.at.webry.info/201305/article_4.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎2月11日から2月15日まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年02月15日 03:51
おはようございます。
「もし、少しだけ手放すのなら、あなたは少しだけ平安を得るでしょう。もし、多くのものを手放すなら、あなたは多くの平安を得るでしょう。もし、あらゆるものを手放すなら、あなたは完全な平安と自由を知るでしょう(アーチャン・チャー:手放す生き方)」。「仏教は何かを得るのではなく、捨てる世界(スマナサーラ長老)」。真理の教えは、一貫しています。私もぶれずに、そこを目指します。本日も、ご指導ありがとうございました。
kempsford
2016年02月15日 03:52
〇ダニヤ経十七偈を終えて
「対機説法」という言葉は知っていました。もちろん、色んな経典で、その実例にも触れてきました。でも、どこかまだ他人事のように捉えていました。しかし、ダニヤさんの考え方は、世俗に染まっている私とそっくりでした。そのため、「対機説法」のなんたるかを、今回は自分のこととして、身をもって実感することができました。それも、先生が再度スッタニパータの講義を実施して下さったおかげです。ありがとうございました。
こころざし
2016年02月15日 05:32
おはようございます。
悪魔の幸福論ですと、生きている間常に苦しみ・執着し、そして輪廻を繰り返す様に思います。
そのようなものではなく、ブッダの幸福論を学び、そして実践実いて参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
エル
2016年02月15日 08:58
 「子」や「牛」が「ある」から幸福で、「ない」から不幸。「ない」を「ある」にする努力は実るとは限らない。だから「子」や「牛」に依存していると、確実に幸福になることはできない。(たまたま欲求が満たされることはある)
 このように整理してみて、その時々の感情に流されるから、「ある」「ない」それぞれの状況に振り回されるのだと思いました。それは確かに滑稽な姿でもありますが、俗世間では人間的とも評されています。そもそも家族・仕事・財産という生々しい現実を前にして、それらが自分を幸福にする「手段」になるのかを考える冷徹さ・明晰さをもつことは、私にとっては難しいことです。「喜び」の原因となっている時、「苦」の原因であったことは忘れています。感情の高ぶりをもう少し減らしたいと思います。
シンプルなネズミ
2016年02月15日 23:25
様々な依存。恐怖への依存。全てが依存。
もしも死後が虚無ならば非常に結構なことではありませんか。自分がないのですから、恐怖も閉塞感も徒労感も無力感も違和感もないはずです。もしも虚無の中で目を覚ますことがあったとしても、そこには納得があるはずです。

しかし「死ぬことは最高」と真顔で言う危険人物を量産するために釈尊が苦労したはずはないのです。
ただ我々に正気を保つ道筋を教えてくださったのです。

人間のイマジネーションの洪水が止まることはないでしょう。それはしょうがないのですが、我々は自分や他人を放置する恐れもありますので、正気が宝だと気付くことになるのです。

幸せでありますように。