法津(のりつ)如来 の独り言

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zoom RSS 生きものを 慈しむけど 子をもたず 仲間求めず 一人で歩く<再35>

<<   作成日時 : 2016/02/16 03:37   >>

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○ワン爺さんの独り言<35>
・・・
人に愛情を持つと
愛着するようになります。
愛着を持つと悩みが生まれます。
そのことに注意すべきです。


35.第1 蛇の章 3.犀の角経 1.

○毎田周一先生訳

一切の生きものに杖をふるわず
その一つをさえ悩ますことなく
子供や仲間を欲しがらないで
犀の角のようにただ一人歩いてゆこう


○中村元先生訳

あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、
あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、
また子を欲するなかれ。況や朋友をや。
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳

一切の生類にたいし、棒(武器)を置いて、
彼らの誰ひとりでさえも害さずにいる者は、
子を求めぬもの。どうして、道友を〔求めよう〕。
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文
サッベース    ブーテース     ニダーヤ   ダンダン
Sabbesu      bhūtesu       nidhāya    daṇḍaṃ,
一切の      生類にたいして  置いて     棒を

アウィヘータヤン  アンニャタラン ピ   テーサン
aviheṭhayaṃ      aññataram   pi      tesaṃ;
害さない人      他のだれ         彼らの

ナ     プッタミッチェッヤ        クトー    サハーヤン
Na    puttam   iccheyya      kuto     sahāyaṃ,
ない   子を     望ま(ない)     どうして   仲間を

エコー    チャレー    カッガウィサーナカッポー
Eko      care      khaggavisāṇakappo.
一人で   行こう    犀の角のように


○一口メモ
今日から「犀の角経」が始まります。この経は41の偈からできています。そしてそれぞれの偈は「犀の角のように一人行こう」という句で終わります。

「犀の角のように一人行こう」という言葉の響きはとても潔い、爽やかな感じがあります。しかし、一方反社会的な協調性のない孤独さを感じさせ、仏教を誤解して意味を取る人がいるかもしれません。

ブッダはアーナンダ長老に「善友こそは仏教修行のすべてだ」と教えたように、仏教は善友と付き合うことを大切にしています。ですから、一般的には「犀の角のように一人行こう」ではなく、「善友と親しく付き合いなさい」と言うのです。

スッタニパータの始めに、説明しましたように、スッタニパータは悟った方、覚者の境地から語られたものなのです。しかもこの経は単に悟った方というだけでなく、だれの指導を受けずに、自分一人の力で悟られた方を辟支仏(ビャクシブツ)あるいは独覚仏とも言いますが、そのようなブッダの境地を語ったものです。独覚仏には親交すべき善友はいないのです。前人未踏の悟りの道は独力で切り開いていかなければならなかったのです。その点、普通の阿羅漢とは違います。阿羅漢はブッダの指導に従って、悟りを開いた方なのです。

現在はブッダの教えがありますから、独覚仏の態度をそのままマネをするのは正しくないかもしれません。その点に注意して、この「犀の角経」を理解すべきなのだと思います。ここに語られているブッダの気持ちを学ぶべきなのです。そのまま実践せよということではないと思います。

日本語訳については、中村先生は「ただ独り歩め」とされていますが、正田先生は「独り、歩むもの」としています。また、毎田先生は「ただ一人歩いてゆこう」としています。単純な命令形にはしていないのです。「ブッダ自身はそうされたのだ」ということを示されているのだと思います。

さて、最後の四行目の説明が長くなりましたが、一、二行目の説明をしましょう。
「一切の生きものに杖をふるはず
その一つをさえ悩ますことなく」
杖あるいは棒は暴力を意味します。ブッダの非暴力の態度が示されています。すべての生命に対する慈悲の態度なのです。

三行目「子供や仲間を欲しがらないで」は、子供を持つことを欲しがるのは当然、その母親との関係が予想されます。ダニヤ経で学んだように、子供や妻に幸せを求めるはかなさが分かっているのです。さらに、仲間を求めるのは仲間への依存や、自己防衛の気持ちからでしょう。これらが執着や束縛の原因になることが分かっているのです。

なぜ、三行目でこの句が出てきた意味は、一、二行目の慈悲の気持ちは子供や仲間への愛情につながり、執着の原因の危険性があるからです。ここできちんと押さえているのです。そこで四行目の「犀の角のように一人行こう」すなわち、何ものにも執着しない、自立した、自由な生活をしようという句が生きてくるのです。ブッダの言葉は自然に話された言葉だと思いますが、よく考えられた偈なのだと思ってしまいます。

ただ、この句は世間の常識と感情にとらわれている人々には抵抗のある言葉です。一般の人々には理解できないと思いますが、これを人々にこのようにしなさいと言っているわけではないのです。ただ、ブッダはそのようにされたということです。一般の人々へのアドバイスとしては、子供や仲間を求めても、執着するなということでしょう。

以上の解説は前回と同じですが、今はこれ以上の解説はできません。
パーリ語原文の表示を、この偈以降ミャンー版でなくPTS版にしてみようと思います。パーリ語の単語が少し引きやすくなるかもしれません。


○前回のこの偈の解説

生きものを 慈しむけど 子をもたず 仲間求めず 一人で歩く<35>
http://76263383.at.webry.info/201305/article_5.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090−2311−9317に御連絡下さい。


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
私は瞋恚の強い性格です。その私が犀経の言葉をそのまま受け取ると「反社会的な、協調性のない、孤独さ」という、ワンギーサ長老のご指摘通りの状態に陥る危険があります。そうではなく「「善友と親しく付き合いなさい」という理解のもとで学んでいきます。それにしても、最初から「子を欲するな。況や朋友をや」とは、強烈な内容です。気持ちを一新して、新たに学んでまいります。今後とも、ご指導よろしくお願い致します。
kempsford
2016/02/16 03:52
私にとって動物とは総じて気味の悪いものでもあるのでしょう。しかしそんな態度に何か不足があるかというと、現時点ではそれがあるがままの自分の自然なスタンスなのではないかと思います。

動物を飼っている人にあまり理屈っぽいことを言ってもしょうがないとは思いますが、例えば猫は自分が猫だという意識はありませんし、猫という実体も厳密にはない訳ですね。人間が思っているほど人間に近い訳でもありません。つまり飼い猫を溺愛している姿には違和感が付きまとうんですね。もちろんそれに対して攻撃的になって他人の猫を虐待するなんて論外ですが。つまりどうせならエゴイズムを抜きにした視点で生命全体に慈しみを持ってもらいたいんですね。

動物へのアプローチがこれから変わっていくのかどうかは自分にとっても大きなテーマだろうなと思います。

幸せでありますように。
シンプルなネズミ
2016/02/16 08:48
自ら冥想実践を行っていく大切さを感じました。これは協会の会に行けば良いとか、何かに依存する形とは違う、自分の姿勢次第のものかと思います。そして何かに執着せず自身が実践すれば、おのずと成長出来るように感じます。実行して参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
こころざし
2016/02/16 10:40
 慈悲の心を常に全ての生命に向けられるような人は、常に無数の多様な生命との関係性を感じ、また愛情の欠乏状態を経験することがないため、わざわざ子や特定の(同種類の)仲間を欲しないのだと思います。もし子や仲間がいればそれらを守るべき義務(義理)が生じるので、自分が他の生命を害する必要に迫られる可能性がでてきます。それは慈悲の人にとっては、何よりつらいこと(=不幸)なのかもしれません。
エル
2016/02/16 11:51
こんばんは
子どもや夫、妻を持ってもいいが、執着はしてはいけないということです。明らかにある程度、人格を磨かなければ出来ないことだと思いまし
た。
みき
2016/02/16 19:17
おはようございます。
てくてくと申します。
書き込み失礼いたします。

「一人で行こう」ということばは、どういうことだろうと考えています。
それは、「すべての人を危険からさけよう」ということかなと思いました。
それは、すべての人にとってそうでなければ、なしとげられない歩みなのだろうと思いました。
てくてく
2016/02/18 08:37

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