賢明な 同志がいれば 幸いだ いないのならば 一人で歩く<再47>

○ワン爺さんの独り言<47>
・・・
善友がいなければ、
一人で修行だが、
思わぬ善友に
気付くべきです。


47.第1 蛇の章 3.犀角経 13.

○毎田周一先生訳

道に達した友こそはほめられてよく
優れた 同心の友には親しみ近づくがよい
そういう人に会へなければ 自分の生活を浄めながら
犀の角のようにただ一人歩いてゆこう


○中村元先生訳

われわれは実に朋友を得る幸を讃め称える。
自分より勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。
このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳

たしかに、〔わたしたちは〕道友の成就(獲得)を賞賛する。
最勝の道友たち、〔自分と〕等しい者たちとは、親しくするべきである。
これらを得ずして、罪なき〔独存の生活〕を享受する者は、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文

アッダー   パサンサーマ   サハーヤサンパダ
Addhā     pasaṃsāma    sahāyasampadaṃ,
確かに    賞賛する       友ができること

セッター  サマー    セーウィタッバー  サハーヤー
seṭṭhā    samā     sevitabbā       sahāyā,
最勝の   同等の   親交すべき     友

エーテー   アラッダー     アナワッジャボージー
ete       aladdhā      anavajjabhojī,
彼らを     得ないならば   罪のない受容者

エーコー  チャレー    カッガウィサーナカッポー
eko      care      khaggavisāṇakappo.
一人で   行く       犀の角のように


○一口メモ
「犀の角経」を読む人には一般的な誤解があると思います。それは「犀の角経」では、「犀の角のように一人で歩く」で結ばれていますから、仏教は孤独を推奨しているように思われますが、仏教は孤独を推奨しているわけではないのです。

この偈の一行目、二行目はそのことを示しています。「われわれは実に朋友を得る幸を讃め称える。
自分より勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。(中村先生訳)」。これが仏教の基本的な立場です。既に何度も紹介していますが、ブッダは「善友と親近することが仏道修行のすべてである。」とまで述べられています。仏道修行は善友から始まり、修行の完成も善友を因縁とするのです。

では何故、「犀の角のようにただ独り歩め。」と述べられているのでしょうか? この言葉は智慧の言葉なのです。智慧の言葉とはその時のその状況の言葉なのです。時と状況が変われば、その言葉は変わります。「犀の角のようにただ独り歩め。」はこの経で繰り返しでてきますが、この言葉はいつも智慧の言葉ではないのです。その時、智慧の言葉だったのです。「犀の角のようにただ独り歩んでいても、状況が変われば、善友と親近することになります。そのことを忘れないようにして下さい。

三行目、四行目。「このような朋友を得ることができなければ、「犀の角のようにただ独り歩め。」ということになるのです。そして、その時大切なことが示されています。「罪過のない生活を楽しんで(中村先生訳)」ですが、その直訳は「罪のない受容者として」です。この意味は「他の人々を傷つけない。」或は「他の人々を悲しませない。」ということです。一人で遍歴修行をしても、他の人々を悲しませないように、慈悲の心が必要なのです。


○前回のこの偈の解説

賢明な 同志がいれば 幸いだ いないのならば 一人で歩く<47>
http://76263383.at.webry.info/201305/article_17.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年02月28日 03:54
おはようございます。
「人間関係」について、「因縁」の観点から分析されたワンギーサ長老の解説は、とても新鮮に感じました。確かに、そのように観れば「『一人で歩く』も人間関係の一形態なのです」という理解に至ります。また、「愚かな、悪友しかいないのならば、そのような人々の悪影響を受けないために、『一人歩く』必要があった」ことにも得心致します。でも私達には、サンガがあります。善友不在の心配はありませんね。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年02月28日 06:41
おはようございます。
自分が修行しないと何も進まないように思います。そのような意味で自らが実践する姿勢は不可欠と思います。一人で歩むという言葉にそのような意味もあるように感じました。
その中で法友と出会い、共に学び成長しましょうの姿勢が出来る事は、幸いな流れになると思います。実際にはご縁が続く方、離れていく方等色々になる様子ですが、自分の芯が揺れる事無く、執着せず・慈しみの気持ちで生きれるようになりたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
エル
2016年02月28日 15:04
 「罪のない受容者」という訳語がわかって、「独人歩む」ということが腑に落ちました。煩悩を減らすという条件に照らし合わせて状況判断するということもだんだんわかってきました。
 昨日歌と騒音だらけの送別会をこっそり中座したのですが、後どうしようと思っていたところ、今朝「避けた相手を悲しませない」というご教示に出会い、目から鱗でした。幸せになる道だと思います。
みき
2016年02月28日 15:51
「犀のようにただ一人歩め」と書いてあれば「一人」がいいことだと錯覚してしまいがちですが。「善友」がいれば親交することも必要だということですね。自分の状態と周囲の状況に応じて変わるということが大切ですね。ありがとうございました。
シンプルなネズミ
2016年02月28日 19:00
私は非クリエイティブな人が嫌ですね。だけど常識のない人は論外ですけどね。
わざと自分を汚す人ってなんなんでしょうか。いわゆる中身がからっぽと評価される人はなぜそうなのか、本当に「からっぽ」なのかというテーマで再考しています。
仏教徒と虚無主義者は別のはずです。
自分を消して行くのが仏教ですが、頭はクリエイティブに活動しているはずなのです。

幸せでありますように。
たか坊
2016年05月10日 01:41
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います!