欲望は 心を迷わす 危険あり 欲から離れ 一人歩く<再50>

○ワン爺さんの独り言<50>
・・・
美味しいものも食べ、
楽な生活をするだけでよいのか?
人間として生まれたならば、
意味のある生き方をしたいものだ。


50.第1 蛇の章 3.犀角経 16.

○毎田周一先生訳

欲望はまことに色とりどりに甘く楽しく
様々の形をとつて心をかき乱す
欲望の向うにこの危険のあるのを見て
犀の角のようにただ一人歩いていこう


○中村元先生訳

実に欲望は色とりどりで甘美であり、
心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。
欲望の対象にはこの患いのあることを見て、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳

まさに、諸々の欲望〔の対象〕は様々で、蜜のように甘美で、
意[こころ]が喜びとするものである。種々なる形態(色)でもって、〔凡夫の〕心を掻き乱す。
〔この〕危険を、諸々の欲望の対象のうちに見て、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文

カーマー  ヒ     チトゥラー   マドゥラー     マノーラマー
Kāmā    hi      citrā      madhurā     manoramā,
欲望は   実に    様々な    蜜のような    心の喜び

ウィルーパルーペーナ  マテンティ    チッタン
virūparūpena         mathenti     cittaṃ,
異様な形態によって    撹乱する    心を

アーディーナワン   カーマグネース     ディスワー
ādīnavaṃ        kāmaguṇesu       disvā,
危難を         欲望の性質において 見て

エーコー  チャレー    カッガウィサーナカッポー
eko      care       khaggavisāṇakappo.
一人で    行く       犀の角のように


○一口メモ
今回初めて、「犀の角経」で欲望がテーマになりました。二つ前の48番では、金の腕輪という欲望を暗示させる言葉が出てきましたが、ここでははっきりそれが話題になります。

また、これまで各偈の由来の話は述べませんでしたが、この偈にも由来の物語があります。この偈は三度還俗して、四度目に辟支仏(独覚仏)になった元長者の子の所感の言葉なのです。

両親の反対にかかわらず、出家した長者の息子は、辟支仏達のもとで出家します。ところが、以前の快適な寝台とは違い、みすぼらしい寝台にゴザをしいだけ、また彼は新人ですから、快適な座所は与えられず、托鉢で得た食べ物も粗末なものでした。彼は二、三日でやせて青白くなって、出家生活が嫌になってしまいました。

そこで両親のところに使いを送って還俗しました。しかし彼は二三日で体力が回復して、また再び出家したい気持ちになりました。それから同じ順序で出家し、また還俗して、三度出家して、四度目に完全に修行して、辟支仏(独覚仏)の悟りを体得して、今回の偈を述べたということです。

「欲望は色とりどりで甘味ある」とは、正田先生の訳のように、欲望の対象と考えるとわかりやすいと思います。出家した長者の息子にとっては、安楽は寝台や美味しい食事が欲望の対象です。その欲望の対象の誘惑に負けて、三度還俗してしまうのです。

欲望は「様々の形をとつて心をかき乱す」とは、欲望の対象は、目からは色や形で、耳からは音で、鼻からは香りで、舌からは味で、身体では触覚で、意からは想いで、心を楽しませながら、心を心配や不安を作り、心を撹乱するということです。

欲望は、このようにして出家生活を楽しむことを許さないという危険があるのです。ですから、その危険を知って、欲望から離れて、犀の角のように一人歩くのです。

以上は前回の解説ですが、最後の部分は分かり難いかもしれません。衣食住が足りないと、それを求め、さらに五欲の楽しみを満たそうとするのです。しかし、それがある程度満たされると、まじめな人は、人間として生まれてそれだけで良いのか考えるようになります。如何に生きるか、真理は何か考えるようになるのです。この長者の息子は三度が出家と還俗を繰り返すうちに、欲望を満たすことの無意味さに気づき、欲望を克服し、真理を求める道を邁進したということです。

「独覚仏」とは、他の指導なくして独自に解脱に達したお方であり、覚りの内容そのものについてはブッダやブッダのお弟子である阿羅漢と比べても遜色はないものの、ブッダのように自ら覚った内容である法を他に語り教えることはできないお方と言われています。


○前回のこの偈の解説

欲望は 心を迷わす 危険あり 欲から離れ 一人歩く<50>
http://76263383.at.webry.info/201305/article_20.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎3月18日(金)から3月22日(火)まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年03月02日 03:48
おはようございます。
たまにNHK連続小説に夢中になってしまったことがあります。最初は、「見て楽しいなあ」という気持ちでした。ところが、いつの間にか「なにがなんでも見るぞ」になり、最後には、「絶対に見逃せない」となっていました。自分をがんじがらめに束縛しています。いわゆる「感情・欲望の奴隷(スマナサーラ長老)」なのでしょう。それこそまさしくĀdīnava「危難」ですね。常に気を付けます。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年03月02日 06:27
おはようございます。
以前は「楽しい事」を追求して、それにのめり込む所がありました。ですが、のめり込んだ結果得たものを思いますと、のめり込む状態が楽しいのであって結果は何か空しい感じもしました。
そんな繰り返しはやめて、心が成長出来る事に精進したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
みき
2016年03月02日 13:06
「欲望」は色いろな形で「眼、耳、鼻、舌、身、意」に接触しては「色、声、香、味、触、法」になり私を惑わせます。時々、夕食を抜くなどの「欲望」に歯止めをかけたりしてみたら、「生存欲」がでてきますね。TVなどでは「見ることで勉強になる」と自分に言い聞かせて見てしまいます。修行者のように生活することはなかなか難しい。そういうことで、現在は自分にできることからコツコツと欲望を捨てるようにしています。
「講義」ありがとうございました。
エル
2016年03月02日 23:42
欲→不安というのはどうしてなのか、明確には分かりませんでした。いつまでたっても満足できず、満足する見通しもたたないからでしょうか?