欲望は 病気はれもの 矢と災難 それらを避けて 一人で歩く<再51>

○ワン爺さんの独り言<51>
・・・
一人で生活すれば、
快適な生活は望めない。
それに満足できれば、
心は清浄になる。


51.第1 蛇の章 3.犀角経 17.

○毎田周一先生訳

「これは私にとつて禍いであり腫物であり難儀であり
病であり矢であり怖れである」と
欲望の向う処にこの怖れを見て
犀の角のようにただ一人歩いていこう


○中村元先生訳

これはわたくしにとって災害であり、腫物であり、禍であり、
病であり、矢であり、恐怖である。
諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳

これは、わたしにとって、疾患と、腫物と、禍と、
病と、矢と、恐怖とである。この恐怖を、
諸々の欲望の対象のうちに見て、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文

イティー  チャー    ガンドー   チャー   ウパッダウォー  チャー
Ītī      ca      gaṇḍo    ca      upaddavo      ca,
患い     と      腫物     と      禍          と

ローゴー チャー サッラン チャー バヤン チャー  メータン
rogo    ca    sallañ ca    bhayañ ca     m’etaṃ;
病気    と    矢   と     恐怖     と     私に・これは

エータン   バヤン     カーマグネース      ディスワー
etaṃ     bhayaṃ     kāmaguṇesu       disvā,
この     恐怖を     欲望の性質において   見て

eko      care     khaggavisāṇakappo.
一人で    行く     犀の角のように


○一口メモ
今日の偈は欲望を六つの事柄で特徴づけているのです。①わずらい。②はれもの。③災い。④病気。⑤矢。⑥恐怖。本当に欲望がこのようなものだと思ったら、欲望を持つのを止めるでしょう。
① わずらいとは、思い悩むこと。心配、苦労、迷惑などです。たしかに、欲望がなければこれらのことがありません。

② はれもの、はれものは触ると痛いです。押すと汚い膿が出てきます。欲望は触ると痛いですか?知られると恥ずかしいということはあります。欲望の実態はあまりきれいではありません。汚いものですから、隠したいものではあります。

③ 欲望は災難でしょうか? 犯罪は自分が犯したものですから災難と言えませんが、犯罪を犯した人にとっては逮捕されるのは災難なのです。その災難の原因は自分の欲望であったことは間違いありません。スピード違反をした人は速く行きかったから、泥棒をした人は物やお金が欲しかったからです。

④ 病気とは治療をしなければ治らないものです。欲望は欲望を満たさなければ止むことはありません。しかし、欲望は一度欲望をみたしても、欲望は満足を知らず、さらに欲望は増大するのです。その意味では、欲望は不治の病だというべきなのです。

⑤ 矢とは、身体に刺さった矢です。それが原因で自分が苦しめられているということです。欲望があるときは満たされてない状態ですから、苦しんでいるのです。それが矢でたとえられているのです。

⑥ 欲望は恐怖であるとは、満たされない欲望が満たされるかどうかわからないのは不安であり、それは恐怖です。また満たされた欲望に関しては、それを失うかもしれないという不安や恐怖があるのです。

確かに、よく考えれば欲望にはこのような六つの特徴があることがわかります。賢者は、欲望は捨てた方が良いと解るのです。

ここで、この偈に関して、もう一つ考えておく必要があります。なぜ、欲望を避けるために、犀の角のように一人歩くのでしょうか? 一人歩くことで欲望を避けることができるのでしょうか?

この説明については、前回の解説を変えてみます。一人歩くことで欲望を避けることができるということではなく、一人歩くことで、あえて欲望を抑える生活をしなければならなくなるのです。それが修行ということです。

昨日の偈では、欲望が出家して一人で修行することを容認しないということが述べられていました。(ですから還俗したのです。)


○前回のこの偈の解説

欲望は 病気はれもの 矢と災難 それらを避けて 一人で歩く<51>
http://76263383.at.webry.info/201305/article_21.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎3月18日(金)から3月22日(火)まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年03月03日 03:51
おはようございます。
欲望は、単なる「病」ではなく、「不治の病」である、とはワンギーサ長老の教えです。「欲望は一度欲望をみたしても、欲望は満足を知らず、さらに欲望は増大するのです。その意味では、欲望は不治の病だというべきなのです」。「病」を避けたいと願い、「宝経」や、「祝福の偈」を懸命に唱えています。でも病の原因は外にはありませんでした。己の欲望こそが、病の根源でした。慙愧致します。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年03月03日 06:08
おはようございます。
一人で生きていれば見栄もいらず、ある意味でシンプルな生活になる要素が増えると思います。ですが、人と一緒に暮らしていく現状の中で、色々な固定概念・見解が出てきます。
本文の、六つの事柄で特徴づけた欲望は今の状態のまさにその通りと感じました。欲がある程苦しむ事になりそうです。
欲を捨て・欲を持たない様な生き方を実勢して参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
うみのすけ95
2016年03月03日 13:37
なるほど、それは確かにその通りなきがします。
あなたがたを見習って私も精進していきますね。

http://uminosuke95.blog.fc2.com/
エル
2016年03月05日 07:30
 ①から⑥にいくに従って、修行者の気づきが増しているような印象を受けました。私には、「矢」という例えがピンときませんでした。ひとまず、明らかに苦しみの原因が特定された状態として理解します。
SRKWブッダ
2016年03月05日 10:59
矢: この場合には、夜陰に放たれた矢というほどの意味。つまり、気をつけていても避けがたいものの象徴。

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たか坊
2016年05月10日 18:27
欲に対する見解が、より深まりました!
今回も明るく学べたコトを嬉しく思います♪