上下も 四方八方 生命に 慈愛の心 起こすべし<再150>

○ワン爺さんの独り言<150>
・・・
すべての生命に慈しみの心を
持つと言うことは、
眼の前の人がどんな人でも
慈しみの心を持つということです。


第1 蛇の章 8.慈経 8.

○日本テーラワーダ仏教協会訳
150(8)
慈しみの心を、一切世間(すべての生命)に対して
限りなく育てることです。
上に、下に、横(周り)に[棲む如何なる生命に対して] も、
わだかまりのない、怨みのない、敵意のない心を育てて下さい。


○毎田周一先生訳
150(8)
この世のすべてのものを
上にも下にも横にも 障りなく
友情と 敵のない どこまでも広い
慈愛に心で抱きとるがよい


○中村元先生訳
150
また全世界に対して無量の慈しみの
意を起こすべし。
上に、下に、また横に、障害なく
怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。


○正田大観先生訳
150.しかして、一切の世〔の人々〕にたいし、
無量なる慈愛の意を修めるように。
上に、しかして、下に、さらには、横に、隔てなく、
怨みなく、敵なき〔意〕を〔修めるように〕。(8)


○パーリ語原文
150.
メッタン     チャ      サッバローカスミ
Mettañ     ca       sabbalokasmi
慈しみを    また      一切の世間(生命)に

マーナサン    バーワイェー     アパリマーナン
mānasaṃ      bhāvaye        aparimāṇaṃ
心を         修習せよ       無量の

ウッダン    アドー     チャ     ティリヤン     チャ
uddhaṃ      adho      ca      tiriyañ       ca,
上に       下に      と      四方に       と

アサンバーダン    アウェーラン     アサパッタン
asambādhaṃ      averam        asapattaṃ.
障碍のない       恨みのない      敵意のない


○一口メモ
今日の表題の短歌に、慈しみの代わりに慈愛と言う言葉を使いました。字数の関係で、慈しみという言葉を使うことが難しかったからです。そこで、愛と慈悲喜捨という言葉の説明をします。

仏教では、慈しみの代わりに、愛という言葉はあまり使いません。愛という言葉は利己的な愛などを意味する場合などがあり、内容があいまいだからです。仏教専門用語で「愛」は渇愛という煩悩を意味します。世間で使う愛の内容を細かく吟味して、慈、悲、喜、捨という言葉を使うのです。慈は生命の幸せを願う気持ち、悲は困った生命を助けたいという気持ち、喜は喜びに共感する気持ち、捨は差別感のない、生命は平等であるという気持ちです。

さて、本題ですが、今回も慈しみの心の育て方について述べられています。心は一遍に無限に大きな心になりませんから、少しずつ大きくしていくのです。まず、上の方に広げます。上の方にはどのような生命が居るのでしょうか。空を飛ぶ鳥たちがいます。空を飛んでいる虫たちもいます。目に見えない生きものは空に浮かんでいる小さな塵埃についています。さらにその上には生命のいる星があるかもしれません。星ではなくても、神々の世界があるのではないでしょうか。神々を含む上に住むすべての生命の幸せを願うのです。

次は下に、住む生命です。地中には、空中や地上以上に密度濃く生命が住んでいます。ミミズや今鳴いているセミほとんどの生涯を地中で過ごしています。ですから、今外で鳴いているセミの何倍ものセミの幼虫が地下に居るのです。それらを食べるモグラもいます。バクテリアを考えると土は生命でできていると考えた方がよいくらいです。さらに、地下には地獄がありそうです。地獄に住んでいる生命もいるのです。地獄での寿命は人間の何億倍もありますから、その数は考えられません。でもそれらの生命にも、慈しみの心を注ぐべきです。

横には、四方八方あります。東京に住んでいる生命であれば、東の方から、千葉県に住む生命に慈しみの心を広げます。西の方では神奈川県に住む生命、南の方は東京湾に住む生命、北の方は埼玉県、群馬県、そのようにして地球に住むすべて生命に慈しみの心を広げるのです。大変な仕事です。一遍にはできません。しかし、この作業を分割して、丁寧に行えば、少しずつ慈しみの心を大きくすることが出来るのです。慈悲の心が大きくなれば、一瞬にして、全生命に慈しみの心を広げることが出来るようになります。何故ならば、本来慈悲喜捨の心は全宇宙に遍満しているものだからです。今はただ、それに気づいていないだけなのです。


○前回のこの偈の解説

上下も 四方八方 生命に 慈愛の心 起こすべし<150>
http://76263383.at.webry.info/201308/article_13.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎6月10日(金)、ゴータミー精舎において、スナナサーラ長老のパーリ経典解説が行われますので、夜の自主瞑想会は中止します。


◎6月17日から6月21日まではワンギーサ比丘が熱海に瞑想合宿に参加するために、ゴータミー精舎における夜の自主瞑想会は中止します。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年06月02日 03:50
おはようございます。
「上下四方」について実践してみました。ところが、私の場合は、どうしても「形而上的・抽象的・概念的」になってしまい、なかなか実感することができませんでした。そんなとき、ふと気付いたことがあります。それは、目の前に現れる生命は常に変化し続けている、ということです。その瞬間目の前にいる生命を慈しむ。そこから始めなければ、「生きとし生けるもの」を実感することができない。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年06月02日 10:13
全ての生命と思った時、とても抽象的で、具体的に欠けると思ったことがあります。実際にはその生命がどの方向にどのようにいるか、とあまり考えた事はありません。身近な生命にも気が付いていない、というニュアンスにもなると思います。
抽象的に投げかけるのではなく、身近な所からいる生命に気が付き、その生命の対象を思うようにしながら実践したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
たか坊
2016年06月27日 23:23
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪