取らないか 殺すことないか 放逸か 目覚めた人は 定を離れぬか<再156>及び<再157>

○ワン爺さんの独り言<156><157>
・・・
慈悲の心あり、差別しない方は
もちろん人のものは取らないし、
生き物を殺すことはない。


第1 蛇の章 9.雪山夜叉経 4.5.

○毎田周一先生訳
156(4)
その人は与えられぬものを取らないか
                 と雪山に住む者が問う
生きものを傷つけないように心を配って居られるか
微妙なものの動きを見逃さず 
いつも深くものを考えて居られるか


157(5)
その人は与えられぬものを取らない
                 とサーター山に住む者が答えた
生きものにはいつも気を付けて居られる
又微妙なものの動きを見逃さず 目覚めた人として 
いつも深くものを考えて居られる


○中村元先生訳
156
雪山に住む者という神霊がいった、
「かれは与えられないものを取らないであろうか? 
かれは生きものを殺さないように心がけているであろうか? 
かれは怠惰から遠ざかっているであろうか? 
かれは精神の統一をやめないであろうか?」


157
七岳という神霊は答えた、
「かれは与えられないものを取らない。
かれは生きものを殺さないように心がけている。
かれは怠惰から遠ざかっている。
目ざめた人(ブッダ)は精神の統一をやめることができない。」


○正田大観先生訳
156.
かくのごとく、ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕
「どうでしょう、〔彼は〕与えられていないものを取ることはないですか。
どうでしょう、命あるものたちにたいし自制ある者ですか。
どうでしょう、〔気づきを〕怠ること(放逸)から遠く離れていますか。
どうでしょう、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を遠ざけることはないですか」〔と〕。(4)


157.
かくのごとく、サーターギラ夜叉が〔答えた〕
「彼は、与えられてないものを取りません。
しかして、命あるものたちにたいし自制ある者です。
しかして、〔気づきを〕怠ることから遠く離れています。
覚者(ブッダ)は、瞑想を遠ざけません」〔と〕。(5)


○パーリ語原文
156.
カッチ     アディンナン        ナーディヤティ
‘‘Kacci     adinnaṃ          nādiyati,
どうか     与えられないものを   取らない

                    イティ    ヘーマワトー    ヤッコー
                    iti       Hemavato      yakkho
                    と      雪山         夜叉

カッチ     パーネース       サンニャトー
Kacci      pāṇesu          saññato,
どうか     命あるものに対して 抑制している 

カンチ     アーラー     パマーダンハー
kacci      ārā         pamādamhā,
どうか     離れて      放逸から

カッチ     ジャーナン    ナ     リンチャティ
kacci      jhānaṃ       na      riñcati. ’’
どうか     禅定を      ない    捨て


157.
ナ     ソー     アディンナン        アーディヤティ
‘‘Na    so      adinnaṃ           ādiyati,
ない    彼は    与えられてないものを  取る

イティ   サーターギロー  ヤッコー
iti       Sātāgiro       yakkho
と      七岳         夜叉

アトー    パーネース       サンニャトー
atho      pāṇesu          saññato,
更に     命あるものに対して  抑制している

アトー    アーラー    パマーダンハー
atho     ārā        pamādamhā,
更に     離れて     放逸から

ブッドー    ジャーナン   ナ      リンチャティ
Buddho     jhānaṃ      na      riñcati .’’
仏陀は     禅定から    ない     捨て


○一口メモ
昨日の偈で、雪山夜叉は世尊の心の状態を七岳夜叉に問いました。そこで七岳夜叉は世尊には慈悲の心があり、差別する心がないと答えたのですから、今回の質問は必要ないと思われますが、雪山夜叉は世尊の行為について聞きます。すなわち、戒(道徳)を守っているか訊くのです。五戒の第二「与えられないものを取らないか?」、第一「生きものを殺さないか?」

更に、戒を守るために必要なことは、自分自身の行為に気づいていることです。自分の行為に気づいていなければ戒を守ることが出来ません。これを放逸と言うのです。ですから、156番の偈では放逸から離れているか訊くのです。

放逸から離れている人は、欲や怒りなど五蓋という禅定を妨げるものがなくなります。そうすると、心は禅定状態になります。この偈では、雪山夜叉は丁寧に「ブッダは禅定を捨ててないか」と訊きます。

この雪山夜叉の質問に対して、七岳夜叉は次のように答えます。
「彼は与えられてないものは取らない。」
「彼は生きものを殺さない。」
「彼は不放逸の人である。」
「彼は禅定を止めることはない。」


○前回のこの偈の解説

取らないか 殺すことないか 放逸か 目覚めた人は 定を離れぬか<156>
取らないよ 殺すことない 不放逸 目覚めた人は 定を離れぬ<157>
http://76263383.at.webry.info/201308/article_18.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎6月10日(金)、ゴータミー精舎において、スナナサーラ長老のパーリ経典解説が行われますので、夜の自主瞑想会は中止します。


◎6月17日から6月21日まではワンギーサ比丘が熱海に瞑想合宿に参加するために、ゴータミー精舎における夜の自主瞑想会は中止します。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年06月08日 04:07
おはようございます。
「戒を守るために必要なことは、自分自身の行為に気づいていることです。自分の行為に気づいていなければ戒を守ることが出来ません」。ワンギーサ長老のこの教えから想起するのは、第五章におけるブッダの言葉です。十六名のバラモンの方々の質問に対して、「よく気を付けなさい」という教えを、ブッダは合計十二回も繰り返し説かれています。不放逸こそが戒律順守の根幹だと知りました。ご指導ありがとうございました。
三日坊’
2016年06月08日 13:11
昨日のコメント欄で触れた、ブッダの福音について、(家族に何回も説いた経験から、)この場を借りてのべます。今日は戒律がテーマだと思います。私も戒律を守ろうと長年努力してきました。ところが、長年努力をしても完璧になりません。つまり凡人の域を出ません。そこで、ブッダのすごさがわかったのです。ブッダにお任せしようという気になってきたのです。ブッダについてゆけば、今回か、次回の人生で悟れるはず、ブッダは嘘をおっしゃらない。

他力本願は他宗教でもありますが、一切有情への慈しみという点でキリスト教を、作りごとでなく真実という点で阿弥陀信仰を、ブッダの教えは上回っている、つまり無上の教えであると。
こころざし
2016年06月08日 19:01
自分自身の行為に気づいていれば、物を盗む事や殺すことを戒め・止めて、慈悲の姿勢で生きる事が出来ると思います。
ですが、日常を見ると、自分の行為に気が付いていない時もあり、反省致します。忙しかったり・余裕のない時ほどその度合いが多いように思いますが→言い訳にはなりません。
少しずつでもそれらが出来る割合を増やして、成長出来るようにしたいです。
ワンギーサ長老・皆様にとって、素適な夜となりますように。