一切に 勝ち一切を 知り尽くす こういう人を 聖者だと言う<再211>

○ワン爺さんの独り言<211>
・・・
赤い色を
知っている人は、
赤い色がどこにあっても
分かるものだよ。


第1 蛇の章 12.聖者の経 5.

○毎田周一先生訳
211(5)
あらゆることに打克ち すべてを知って 物事の道理に通じ
何ものにも汚されず
一切を捨て愛欲を絶ち自由になった人――
こういう人をまた 賢い人が「静かな人」であるという


○中村元先生訳
211
あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、
あらゆる事物に汚されることなく、
あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。


○正田大観先生訳
213.(211) 
一切を征服する者、一切を知る者、思慮深き者、
一切の諸法(事象)に汚されない者、
一切を捨棄する者、渇愛の滅尽(涅槃の境処)において解脱した者を、
まさしく、彼をもまた、慧者たちは、「牟尼」と知る。(5)


○パーリ語原文
211.
サッバービブン     サッバウィドゥン    スメーダン
Sabbābhibhuṃ      sabbaviduṃ       sumedhaṃ
一切を克服し      一切を知り       よく賢く

サッベース     ダンメース     アヌーパリッタン
sabbesu       dhammesu      anūpalittaṃ
一切の       法において    そまらない

サッバンジャハン    タンハッカイェー     ウィムッタン
sabbañjahaṃ        taṇhakkhaye        vimuttaṃ,
一切を捨てて      渇愛の滅において    解脱した

タン   ワーピ     ディーラー    ムニ     ウェーダヤンティ
taṃ    vāpi       dhīrā       muniṃ     vedayanti.
彼を   もまた     賢者らは    聖者を     知る 


○一口メモ
昨日、スッタニパータが難しいとすれば、昨日の偈であると述べましたが、実は今回の偈はそれ以上に難しいと思います。

先ず、一切という言葉です。一切に勝つとは、一切を知るとは、そんなことが出来るのでしょうか?
一切とは無限です。有限を積み重ねても、それは有限で、無限にはならないのです。サンユッタ・ニカーヤという経典に「一切経」があります。そこでは、ある方がブッダに「一切とは何か」質問しています。また、同じ経典に、ローヒタッサ経(赤馬経)があります。このれも、無限と一切を知ることについて書いてあります。詳しく知りたい方はそれらを検討して下さい。

一切を私なりに、説明してみましょう。以前「フラクタル」という言葉がよく使われた時がありました。最近はあまり使われないようです。これは無限の構造を理解する時に使われたようです。広辞苑には「どんなに微小な部分をとっても全体に相似している(自己相似)のような図形。海岸線などが近似的なフラクタル曲線とされる。」と記述されています。

一切(宇宙)がフラクタル構造をしているのならば、一切(宇宙)の構造は、その一部を知れば、全体が解るということです。ローヒタッサ経を読むと、「ブッダは自己を知り尽くすことによって、一切の構造を理解し、一切(宇宙)知ることができ、有限の限界を超えて、無限を知った」と述べているように思います。無限を理解できるのは、自己を知り尽くした覚者だけなのです。

また時々、このブログにコメントをして下さるSRKWブッダ様は、一切に関して次のような説明をされています。例えば、赤という色を知った人は世界の一切の赤という色を知っているという話しをされます。なんとなくそのイメージはつかめます。赤という色は、智慧のたとえです。一つの悟りの智慧を知った人は、一切の悟りの智慧が分かるのです。

「一切に勝つ」とは、自己の一切に勝つことです。
ダンマパダ103番に自己に勝つ者は最上の勝利者と述べられています。
http://76263383.at.webry.info/201206/article_17.html

「一切を知る」とは、自己の一切を知りつくすことになります。「一切を捨てて」は自己のすべての煩悩を捨ててでしょう。それは「渇愛の滅」による涅槃を体得することになるのです。彼が阿羅漢の聖者なのです。


○前回のこの偈の解説

一切に 勝ち一切を 知り尽くす こういう人を 聖者だと言う<211>
http://76263383.at.webry.info/201309/article_19.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をすることになりました。そして、カテナ法要まではこちらに滞在します。しばらくゴータミー精舎から離れることになりますが、宜しくお願い致します。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年07月19日 03:51
おはようございます。
「sabbanjaham:一切を捨てて」。やはり、この「捨てる」がキーワードですね。昨年末の大掃除特別法話で、スマナサーラ長老も、このように説かれています。「仏教は何かを得るのではなく捨てる世界である」・「善とは執着を捨てるプログラムで、悪とは執着にあわせて執着のままいること」。また、アーチャン・チャーの教えの根幹も「ただ手放すだけ」です。今の価値観の切り替えが必要です。ご指導ありがとうございました。
SRKWブッダ
2016年07月19日 08:56
大人は、子供じみたことの何たるかをすべて理解しており、同時に子供じみたことをすべて捨てている(離れている)。

聖者は、衆生の特質をすべて理解しており、同時に衆生の特質(世俗のことがら)をすべて捨てている(離れている)。

子供は、いつか大人になる。聖求ある人々は、因縁を生じてついに聖者(〈道の人〉)となる。

***
こころざし
2016年07月19日 10:12
私事ですが仕事柄、高齢者の事を学んでいます。その他に幼児とか年齢で人を区分して分けて「○○学」を作っている現状がある様子です。ですが、私ですとその高齢者を深く学ぶことで、それが「人全て」に通じる事があると知りました。人間の一か所を深く学ぶことが全体を学ぶことに繋がる様な感じでしょうか。
そして、どうするのか・どうしていくのか、という所に繋がっていくように思います。仏教の学びからもそれが繋がる様に精進したいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素晴らしい一日となりますように。
たか坊
2016年08月07日 18:19
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪