生きものを 殺し奪って たち悪い これが生臭 肉食ではない<再247>

○ワン爺さんの独り言<247>
・・・
どんな生きものも
死にたくはないのです。
それらの生きものは親がいます。
それらを悲しませてはいけません。
殺してはいけません。


247.第2 小さな章 2.生臭経 9.

○中村元先生訳
247
この世でほしいままに生きものを殺し、
他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め、
たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、
──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。


○正田大観先生訳
250.(247) 
彼ら、この〔世において〕、命あるものにたちたいし自制なき人たち
――他者たちのものを取って、害することに専念する者たち
――戒に劣り、残忍で、粗暴で、礼を欠く者たち
――これが、生臭です。まさに、肉を食べることではありません。(9)


○パーリ語原文
247.
イエー  イダ     パーネース       アサンニャター   ジャナー
Ye     idha      pāṇesu         asaññatā       janā
彼ら    この世で  生きものに対して   抑制がなく      人々

パレーサ マーダーヤ    ウィヘーサ ムッユター
paresam ādāya        vihesam uyyutā
他人の物を 取り        害することに 励み

ドゥッスィーラルッダー  パルサー     アナーダラー
dussīla-luddā          pharusā      anādarā,――
たちが悪く           粗暴で     無礼な

エサーマガンドー    ナ     ヒ     マンサボージャナン
esāmagandho,      na     hi      maṃsabhojanaṃ.
これが生臭        ない   決して    肉食


○一口メモ
過去仏カッサパは生臭の特徴について一通り述べました。そこで、改めて生臭の全体像をこの偈で述べているのです。

「この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、これが生臭なのです。」

生きものに対する慈悲のない、無慈悲こそが生臭の本質なのです。

このことは次の偈でもう一度強調されます。

このことが理解されると、生臭を消すためには、昨日まで述べたように、生臭の原因になる、具体的な煩悩を一つずつなくしていく努力と共に、慈悲の心を育てるということも有力な方法であることが分かります。このブログ時事の終わりに毎日掲載している人生の万能薬(慈悲の冥想)及び一つの経が終わるたびに掲載する「釈迦牟尼仏陀の世界」を必ず行うことをお勧めします。


○前回のこの偈の解説

生きものを 殺し奪って たち悪い これが生臭 肉食ではない<247>
http://76263383.at.webry.info/201310/article_22.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記 
2016.8.21.(日) 第33日目
 今日は三重県伊勢市の伊勢神宮に朝早く出かけた。神戸と大阪から7名と名古屋方面から3名と比丘2名、総勢12名、三台の車に分乗して行った。お伊勢さんはクサラダンマ長老も初めてあり、私も72年間生きてきたが、一度も行ったことはなかった。天照大神を祭ってある有名な神社であることはもちろん知っているので、どんなところであるのか楽しみにしていた。
 計画通り11時ころに現地に着き、その付近では有名だと言われている豆腐料理の店で食事をすませた。古くからの習わしでは、外宮を参拝してから、内宮を参拝するそうでが、今回は直接内宮の参拝をした。門前町の「おはらい町」を通って、内宮に向った。非常に暑かったが、道は砂利道で、杉の巨木から時折吹いて来る風は気持ちがよかった。年末・年始の込みあいとは比べものにならないそうだだが、人でごった返していた。人が少なければ、山に囲まれ、木々に包まれた場所で、きれいな川が流れている、本当に良い所のように思う。
 ここまでのところ、何も問題がなく、名所の見学・参拝が終わり、帰路に就いた。その時問題が起きた。三台の分乗した車のうち、私たち三人を乗せた一台が駐車場を出た時、他の車と接触したのだ。私たち三人も、相手の車の乗車者は運転手のみ、皆身体に問題がなかった。しかし、どちらの車も少し損傷があった。相手の運転手も非常に良い人で、お互いに心を荒立てることなく、身体に問題がないかと相手を気づかた。しかし、このような時に必要な作業としては、警察と保険会社との連絡である。直ちに、警察に連絡を取り、両者ともこの地域を管理している伊勢警察所に行った。そこで30分ほど事務処理をして、保険会社とも連絡を取り、全体として、一時間ほど時間で終わった。あとは問題なく、アラナ精舎に向った。こちらの運転手も冷静で落ち着いていたが、疲れただろうと気づかって、もう一人の同乗者が帰りの運転を申し出た。始めの運転手は素直にそれを受け入れた。
 帰りの車のなかで、私はこのことは何であったのだろうかと考えた。これが世の中のあり方なのではないかと思った。世の中はいろいろなことが起る。しかし、それらに対して、喜怒哀楽で対応するのではなく、淡々と必要なことをして、心おだやかに、落ち着いて行えば、何がおころうと問題はないのである。慌てることも、怖れることものない。今日一日は非常の内容のある、充実した一日であった。この日のお伊勢参りは忘れることはないだろう。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。

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この記事へのコメント

kempsford
2016年08月22日 06:13
おはようございます。
無慈悲になるときの自分の心を観察します。すぐに見つかるのが「自我」です。自分さえ良ければいい、という身勝手な心です。ただ、その奥には、「自分は死なない、又は、死んだらなにもかも終わり」と思い込んでいる無知が、でぇ~んと横たわっています。「生きものに対する慈悲のない、無慈悲こそが生臭の本質なのです」。その通りです。私は、それを自分の心の汚れを観て、知りました。…事故が大事ではなくて、なによりでした…ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年08月22日 20:44
どのような生き物にも親がいて、その親がもし他界されていたとしても、大事に育てた思いはずっと続くように思います。
そんな親が悲しむ事がないように、生きとし生けるものに慈しみの気持ちで接したいです。
長老の、伊勢神宮帰りでの事故、興味深く拝見しました。色々な事が起こるのが当たり前と思っていながら、もし自分が運転していたらかなり動揺した事と思います。そんな中で淡々と対応された様子を素適に思いました。見習わせて頂きます。
ワンギーサ長老・皆様にとって、素適な夜となりますように。
たか坊
2016年09月20日 02:05
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪