恥忘れ 友だと言うが できるのに 引き受けない人 友ではないよ<再253>

○ワン爺さんの独り言<253>
・・・
友達が欲しい人は、
自分が友達らしくならなければいけない。
出来ることはしてあげること。


第2 小さな章 3.恥経 1.

○中村元先生訳
253
恥じることを忘れ、また嫌って、
「われは(汝の)友である」と言いながら、
しかも為し得る仕事を引き受けない人、
──かれを「この人は(わが)友に非ず」と知るべきである。


○正田大観先生訳
256.(253) 
恥〔の思い〕を超え(無視し)、忌避している者を
――「わたしは、あなたのために存在する」と語りながら、
諸々のできる行為(業)を引き受けずにいる者を
――彼のことを、「この者は、わたしの〔友〕ではない」と、かくのごとく識知するがよい。(1)


○パーリ語原文
253.
ヒリン    タランタン    ウィジグッチャマーナン
Hiriṃ     tarantaṃ     vijigucchamānaṃ,
恥を     超えて      厭いながら     

サカーハ マスミ     イティ     バーサマーナン
“sakhāham asmi      iti       bhāsamānaṃ
私は友で ある      と       語りながら

サイハーニ    カンマーニ     アナーディヤンタン
sayhāni       kammāni      anādiyantaṃ
できる       行為を       引き受けない

ネーソー     ママンティ     イティ    ナン    ウィジャンニャー
‘n’eso       maman’ti      iti       naṃ     vijaññā.
これはない    私のものと    そように  それを    知るべきである


○一口メモ
今日から「恥経」という新しい経が始まります。この経は五つの偈からなる短い経です。また「恥経」という名前ですが、恥について語られたものというよりは、始めの偈の始めの言葉が「恥」だったので恥経という名前になったと考えた方がよいのです。

ではこの経は何について述べられた経なのでしょうか?注釈書によりますと、ある出家したバラモンの苦行者が、ブッダが世に現れ、素晴らしい説法されていることを知り、嬉しくなり、ブッダのもとに行きたくなりました。そして彼はこう思いました。「ブッダのもとに手ぶらで行くのはふさわしくない。何を持って行こうか?」そしてまた「ブッダは物質的なものは尊重されない。私は法という贈り物を携えて行こう。」と考えました。

彼が考えた法という贈り物は次の四つの質問です。①どのような友には親しんではならないか? ②どのような友に親しむべきか? ③修行においてどのように努力すべきか? ④味の中で最高のものは何か?

彼はブッダのお会いした時、「もしこの方がブッダであるならば、私が心の中で質問すれば、言葉で答えて下さるだろう」と考えて、心の中で質問しました。それに対して、ブッダはこの「恥経」と言われる五つの偈でお答えになったということです。

今回の偈の意味についは、中村先生、正田先生の訳でお分かりだと思います。始めは親しむべきでない友について語っておられるのです。

友の選択は人生において重大な意味をもつものです。このブログでも何度も述べましたが、ブッダは善友に親しむことは、修行の半分どころか、修行のすべてだとまで述べとおられます。逆に悪友と親しむことになったならば、その人の人生は最悪なものになり、来世も酷いものになることは間違いないのです。そうでありますから、皆さんも今付き合っている友達についてよく吟味し、悪友から離れ、善友との交際を強くした方がよいのです。その時、この偈を参考にして、その友達が口先だけの友達か、真心のある人間か見極める必要があります。


○前回のこの偈の解説

恥忘れ 友だと言うが できるのに 引き受けない人 友ではないよ<253>
http://76263383.at.webry.info/201310/article_27.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記 
2016.8.28.(日) 第40日目
今日は関西ダンマサークルが行われました。
予定スケ―ジュールは次の通りでした。
・・・・・・・・・・・・・
09:00~ 自主冥想
11:00~ お釈迦さまへ食事お供え
11:30~ お坊様へ食事お布施

12:00~ お昼休憩
13:00~ 関西運営会議

13:30~ お経・慈悲の冥想(ワンギーサ長老)
14:00~ 仏教のあれこれ質問会(ワンギーサ長老)
15:00  休憩
15:30~ 法話試聴(テキスト使用)
17:00~ お経、釈迦牟尼仏陀の世界、終了(ワンギーサ長老)
・・・・・・・・・・・・・・
しかし、午後からの予定は、クサラダンマ長老の通訳をしてくれる方がおられたので、クサラダンマ長老にも参加して頂きました。クサラダンマ長老の説法は熱が入っていましたが、係の人が時間ですのでまとめて下さいとお願いしましたら、「私は夜中まで説法できます。」と気合いが入っていました。そこで、3時30分からの法話試聴を止めて、質問と説法の時間を5時まで行いました。
5時からは「お経、釈迦牟尼仏陀の世界」を行いました。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。

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この記事へのコメント

kempsford
2016年08月29日 04:24
おはようございます。
「恥」からすぐに想起するお言葉があります。「『無慙・無愧』であれば、どんなに悪いことでも平気でできるのです(アビダンマ講義)」。「無慚…悪作を作すことを内心に慚じ厭わないこと」・「無愧…悪作を作すことを外部に怖れないこと」。「第二章摂心所分別なので、アビダンマを学習した最初の頃のお言葉です。いつの間にか忘れかけていました。でも、真理は普遍です。常に戒めねばなりません。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年08月29日 07:50
おはようございます。
友人とお会いした時、そのご縁を有難く思い・大事にしようとする姿勢は、その相手とのお付き合いを継続させたいのであれば不可欠・と思ったことがあります。実際自分を見て、相手の方が自分との接点を大事に思わない様子であれば、接点を避ける方向にするかと思います。心の伝播とか因果法則のニュアンスになってくる面も感じます。
伴って、自分を律し・だらしなさすぎない人格でないと、それに伴った人しか相手にしてもらえないと思います。
精進し、そして法友のご縁を大事にさせて頂きながら、共に成長出来る様な流れになる様に努めたいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素晴らしい一日となりますように。
三日坊主
2016年08月30日 05:31
善友との出会いが修行完成のすべてである、とのお釈迦様のお言葉。もっと仏法僧に近づきたいとの思いで寺のボランティアに参加する日々がありました。そして、ワンギーサ長老からこのブログを教わりました。おかげで修行がかなり進みましたので、お釈迦様の仰ったことは、大げさではないと思います。
たか坊
2016年10月26日 20:29
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪