阿羅漢は 決意を固く よく励み 涅槃に達した 幸せであれ<再228>

○ワン爺さんの独り言<228>
・・・
サンガの中のトップ集団は
涅槃に達した阿羅漢たちだろうが、
実際はどなたが阿羅漢か分からない。
目立たない方ではなかろうか。


228.第2 小さな章 1.宝経 7.

○日本テーラワーダ協会訳
7.
堅く決意し、ゴータマ(ブッダ)の教えに基づきよく励み、
欲から離れている彼らは達すべき境地に達して、
不死なる境地を体得し、その涅槃を余すところなく享受せり。
此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。
此の真実により、幸いがあらんことを。


○中村元先生訳
228
ゴータマ(ブッダ)の教えにもとづいて、
堅固な心をもってよく努力し、
欲望がなく、不死に没入して、達すべき境地に達し、
代償なくして得て、平安の楽しみを享けている。
この勝れた宝<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。


○正田大観先生訳
230.(228) 
彼ら、堅固なる意をもって〔瞑想の境地に〕しっかりと結び付き、
ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて〔欲望の対象に〕無欲なる者たち――
彼らは、不死〔の境処〕に入って、得るべきものを得た者たちであり、
寂滅〔の境地〕を空手で得て、受益している者たちである。
これもまた、僧団における、妙なる宝である。
この真理によって、安穏有れ。(7)


○パーリ語原文
228.
イェー   スッパユッター   マナサー   ダルヘーナ
Ye      suppayuttā     manasā     daḷhena
者たち   よく努力し     意によって  堅固な

ンッカーミノー   ゴータマサーサナンヒ   
nikkāmino      Gotamasāsanamhi,
欲を離れた    ゴータマの教えにおいて

テー    パッティパッター    アマタン    ウィガイハ
te      pattipattā        amataṃ     vigayha
彼らは  得るものを得た者  不死に     入って

ラッダー    ムダー   ニッブティン    ブンジャマーナー
laddhā      mudhā    nibbutiṃ       bhuñjamānā,――
得て      ただで    寂滅を       享受している

イダン ピ    サンゲー     ラタナン     パニータン
idam pi     Saṅghe      ratanaṃ      paṇītaṃ,
これ も     サンガに     宝が(ある)   優れた        

エーテーナ   サッチェーナ    スワッティ    ホートゥ
etena       saccena       suvatthi      hotu.
この       真実によって    幸せで      あれ


○一口メモ
此の偈では、阿羅漢達が登場します。前の偈で勝宝である仏陀の弟子たち、サンガを紹介しました。それは八輩四双の人々でした。そのトップ集団は阿羅漢達です。ではその阿羅漢はどのような方たちなのでしょうか。それがこの偈で述べられているのです。

彼らの決意は堅いのです。どのような決意でしょうか?「生きとし生けるものが幸せでありますように」という誓願です。この決意が堅いのです。

阿羅漢達はこの誓願の実現には、ゴータマ・ブッダの教えに基づき、よく励むことが必要であることを深く理解していました。そして、その通り実践しました。

彼らは欲から離れ、彼らは達すべき境地に達しました。その境地は言葉で表すことが出来ない境地でありますが、何とか表現すると、不死の境地にとなりました。生命は、生きること、死ぬことで悩み苦しんでいますが、不死の境地と言えば、生きること死ぬことを超越した世界なのです。その世界は涅槃とも呼ばれます。阿羅漢達はその世界で、苦しみのない、最高の幸せを楽しむことが出来たのです。

一般の人々には想像できない世界ですが、そのような境地があることを、阿羅漢の聖者たちが体験した事実によって、仏陀の教えに基づいて励めば、それが実現可能な真実であることを知ることが出来たのです。阿羅漢達はサンガのリーダーです。ですからサンガも優れた宝なのです。この真実によって人々は幸せであることが出来るのです。


○前回のこの偈の解説

阿羅漢は 決意を固く よく励み 涅槃に達した 幸せであれ<228>
http://76263383.at.webry.info/201310/article_6.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記 
2016.8.5.(金) 第17日目
 今日は、ダンマパダには「慈しみ」についてどのように書いてあるのか調べるために、中村元先生訳「ダンマパダ」を全部読んで見た。「慈しみ」という言葉は、368番に「仏の教えを喜び、慈しみに住する修行僧は、動く形成作用の静まった、安楽な、静けさの境地に到達するであろう。」にしかなかった。(読み落としているかもしれないが。)この言葉は重要だ。慈しみに住する者は涅槃に達すると言っているのだから。慈経の趣旨と同一だと思った。
 しかし、それにしても「慈しみ」の言葉が少なすぎるという思いがあった。その意味を私は次のように理解した。すなわち、「慈しみとは何か」をその内容で表現しているだと。例えば、184番の「他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は<道の人>ではない。」この意味は、慈しみとは他人を害することもなく、他人を悩ますこともないということだ。逆の表現をして、ある人を楽しませたり、喜ばせたりすることだと言うと「慈しみ」の逆のことがある。他の人を傷つけたり、悲しませる場合があるからだ。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。

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この記事へのコメント

kempsford
2016年08月06日 04:18
おはようございます。
「彼らの決意は堅いのです」。「dalha:堅固の・確固たる」。決意はあるのです。「生きとし生けるものが幸せでありますように」と念じるときは、必ず決意をします。しかし、感情でそれが揺らいでしまいます。もちろん、自我が消えればその問題は解消します。でも、それまでの間も生きていなければなりません。その生きている間をどうするか。決意を「堅くする」しかありません。精進します。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年08月06日 06:10
おはようございます。
慈しみの姿勢を貫き、生きていらっしゃる阿羅漢の素晴らしさを思います。そのようなお坊様がいらっしゃるサンガは宝と感じます。私にはこの方が阿羅漢で・・などは分かりませんが、その姿勢を拝見する事は出来ます。
自分も少しでもその姿勢に伴うように、成長出来るように実践して参りたいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素晴らしい一日となりますように。
カエルくん
2016年08月06日 09:48
私自身、他人を悩ます人は道の人ではない、という一文はずっと気になっていた箇所です。
ワンギーサ先生は、これは慈悲について語っているのではないか、とのことで、答えをいただいた気がしました。
自分に害意がなどの意図がなくても、慈悲の気持ちがあるならば、他人を困らせるようなことはしてはならない、という戒めの一言に感じます。
ではどうすれば良いのか。自問していくことも修行かと思いました。
SRKWブッダ
2016年08月06日 15:59
不死に没入して:

不死とは、生滅しないものであり、作られざるものであり、要するに正法のことである。また、そのこの世への具体的な現れたる法の句(善知識)も不死と称する。

修行者が、本来この世には存在しない法の句(善知識)に邂逅し、その真相を理解したとき、かれは、正法によって、正法の云う処のままに(正法の通りに)、正法を体得し、仏となる。

ここで彼は感興の言葉を発するであろう。「不死が得られた」と。これは、何の代償(対価)も無く得られるものであり、何一つ無くすことが無い。無くなるのは、余計なものだけである。また、この不死は一人だけで得られるものでは無い。不死は人の集いの中に出現する。これは一瞬のサンガ(僧伽)の出現に他ならない。

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