天人や 人間たちは 幸福を 願っています 教えて下さい<再258>

○ワン爺さんの独り言<258>
・・・
神々も人間も
幸福を願っています。
しかし、実のところ
何が幸福かわからないのです。


第2 小さな章 4.吉祥経 1.

○日本テーラワーダ仏教協会訳
1.
たくさんの天人や人々が、
幸福を願って
吉祥なものごとを考えてきました。
最上の吉祥をお説き下さい。


○中村元先生訳
258
「多くの神々と人間とは、
幸福を望み、
幸せを思っています。
最上の幸福を説いて下さい。」


○正田大観先生訳
261.(258) 
〔天神が尋ねた〕「多くの天〔の神々〕たちが、さらには、〔多くの〕人間たちが、
諸々の幸福を思い考えてきました
――安穏〔の境地〕を〔常に〕望んでいる者たちとして。
〔彼らのために〕最上の幸福を説いてください」〔と〕。(1)


○パーリ語原文
258.
バフー    デーワー    マヌッサー     チャ
‘‘Bahū    devā       manussā      ca
多くの    天人たち   人間たち       と

マンガラーニ    アチンタユン
maṅgalāni       acintayuṃ
幸福を        考えました

アーカンカマーナー  ソッターナン
ākaṅkhamānā       sotthānaṃ,
願いつつ         安泰を

ブルーヒ    マンガラ ムッタマン
brūhi       maṅgalam uttamaṃ.’’
お説き下さい 幸福を 最高の


○一口メモ
今年の2月に掲載した「ダニヤ経」も仏陀の幸福論ですが、その経の最後の解説記事で次のように述べています。
http://76263383.at.webry.info/201602/article_15.html

「俗世間の幸福論は、家族や財産に依存することです。それは幸福論とは言いながら、人々に悩み苦しみを与えものです。大昔から人々はその幸福論に基づいて生活して、苦しみ、悩み続けています。そこから抜け出すことができずに、失敗を繰り返しているのです。しかし、人々はその幸福論に従って生きているのです。

それに対して、ブッダの幸福論は、ブッダに教えてもらわなければ、分からないことなのです。家族や財産に依存するではなく、それらに依存せず、自立し、自由であること、これが真の幸福であると言うのです。これは今までの常識とは異なるため、理解が難しく、実践は困難な課題です。しかし、よく考えて理解すれば、これこそが真の幸福だと分かります。理解すれば、困難を乗り越えることができます。ですから、先ずこれを理解して下さい。」

天人も人間も「何が幸福であるか」分からないのは、俗世間の幸福論の中で考えているからなのです。幸福のために努力しても結果は、幸福にはならず、悩みや苦しみになっているからなのです。

「吉祥経」では、ブッダは幸福の原理的なことを語らず、具体的な38項目で幸福について説かれるのです。


○前回のこの偈の解説

天人や 人間たちは 幸福を 願っています 教えて下さい<258>
http://76263383.at.webry.info/201311/article_2.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記 
○2016.9.4.(日)
 今日も、いつもの通り朝5時からの瞑想で始まりました。しかし、今日はクサラダンマ長老の外に、昨日夜から来られた二人の男性修行者と共に行いました。
 昼は、一か月ほど前にお布施に来られた女性とその小学生の娘さんが食事を作ってくれました。食前の説法としては前回話したダンマパダ224番の因縁物語の復習(嘘をつかないこと。怒らないこと。困っている人には分けてあげること。)をして、これらはどれも完全に実践するのは難しいけれど、一回できれば、二回目もできるようになり、三回目は更にできるなると話しました。
 とくに、その中で嘘をついてしまった時どうするかという問題が出ました。即答はできなかったのですが、後で嘘にならないようにすればよいことに気が付きました。具体的な話しはできませんが、例えば、宿題をしてないのに、「宿題をしました。」と言ってしまったならば、後ででも宿題をしてしまえば嘘にならないのではないかということです。厳密に言えば時間的なずれはありますが。言いたいことは、後でも嘘にならない行為をすればよいのではないかということです。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。

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この記事へのコメント

kempsford
2016年09月05日 04:29
おはようございます。
「幸せとは誰でも希望するものですが、『一体、幸せとはなんなのか』と訊かれると、定義できず戸惑うのです…ですから、『幸福とはこれではないか』という多数の意見が混在しているのです…必要なのは『人類に共通する幸福とは何か』を発見することです(1月号)」。明日からの、ワンギーサ長老の解説で、それを学ばせて頂きます。「ブッダは幸福の原理的なことを語らず、具体的な38項目で幸福について説かれるのです」。教えが具体的であれば、私のような出来の悪い凡夫でも、実践が可能です。これからの学びが楽しみです。ご指導よろしくお願い致します。
てくてく
2016年09月05日 09:20
おはようございます。
てくてくでございます。
書き込み失礼致します。

今朝の『アラナ精舎雨安居日記』より『嘘をついた時、どうするか?』について考えました。
嘘をついた時、為してはならないことは、「開き直ること」だと思います。
嘘をついた時、為すべきことは「開き直らないこと」だと思います。

開き直らず、その時、自分が為したこと為さなかったことを静かに見続けることだと思います。
開き直らずに、その時、自分が為したこと為さなかったことを見ることは、始めは、恥ずかしくて逃げ出したくなるかもしれません。でも、そこで勇気を出して、見続けることが出来たなら、もう二度と、嘘をつかない自分に成れると思います。
そうして、相手も自分も、一生涯守り通せるものに成ると思いました。
こころざし
2016年09月05日 23:30
幸せとは?と突き詰めて考えた事が(以前)なかったなと振り返りました。そうなりたいとの思いは沢山あったので→滑稽にも感じます。そしてその幸せが「自分が」のエゴの視点でしかなかった事も思いました。本当の意味の幸福に繋がる様に、これからの経典の内容の事を精進したいです。
※嘘をついたときは「すいません、今嘘をついてしまいました」と謝罪するようにしています。うる覚えで言ってしまい、違っていた・・に、気が付いた時点でそうするような感じです。嘘が嘘を呼ばない様になっている・・かも?なんて思う事があります。
ワンギーサ長老・皆様にとって素適な夜となりますように。
たか坊
2016年11月02日 21:48
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪