門口に 供えられたる 食べ物は 求める者への 信仰による<再286>

○ワン爺さんの独り言<286>
・・・
供養される人々は
それに相応しい
生き方をしなければならない。


第2 小さな章 7.バラモン法経 3.

○中村元先生訳
286
かれらのために調理せられ家の戸口に置かれた食物、
すなわち信仰心をこめて調理せられた食物、
を求める(バラモンたち)に与えようと、
かれら(信徒)は考えていた。


○正田大観先生訳
289.(286) 
〔まさに〕その、彼らのために作り為され準備されたものとして存した、
門口の食(供養のための食)ですが、
〔人々は〕それを、〔食を〕求める者たち(行乞者)に施すべく、
信によって作り為されたものと思い考えました。(3)


○パーリ語原文
286.
ヤン     ネーサン      パカタン    アースィ
Yaṃ      nesaṃ        pakataṃ    āsi,
およそ    彼らのために  作られた    あった

ドワーラバッタン       ウパッティタン
dvārabhattaṃ         upaṭṭhitaṃ
戸口に置かれた食べ物  供えられた

サッダーパカタ メーサーナン
saddhāpakatam esānaṃ,
信仰によってつくられた 求める人に

ダータウェー       タ ダマンニィスン
dātave          tad amaññisuṃ.
与えられるべき   それは 考えた


○一口メモ
昔のインドでは、今もそうかもしれませんが、バラモンや出家修行者のために、家の前に食べ物を供えておいたようですね。それは、バラモンのように、財産を持たずに、五欲を捨てて、梵天のような心の清らかい人々に布施をすることは善行為であり、死後は良いところ生まれ変わるのだという、バラモンへの尊敬と信仰があったのだと思います。

バラモンたちもそのような信者たちの願いに応えるに相応しい生き方をしていたから、彼らの信仰によって調理された食べ物を誇りを持って受け取っていたのです。


○前回のこの偈の解説

門口に 供えられたる 食べ物は 求める者への 信仰による<286>
http://76263383.at.webry.info/201312/article_2.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記 
2016.10.7.(金) 第80日目
 今日の「日の入り」は17時34分です。夕方の読経が終わってから散歩すると暗くてあたりがよく見えなくなるので、今日は散歩を読経の前にした。稲穂はよく実り、黄色くなっていた。取り入れの終わった田んぼもあった。明日、明後日は岸和田市の山側の「だんじり祭り」だから、その次の日あたりからは多くの田んぼで刈り入れが始まるのだろう。既に刈り入れの終わった田んぼもあった。そこには刈り入れ機械があった。その機械は、稲の刈り入れと同時に、脱穀して、袋に詰めるまで行えるようになっている。ちなみに、今は田植えも田植え機を行っているのだ。農業もかなり機械化が進んでいる。そのようなことは東京にいた時は知らなかった。
 
話は変わって、時々瞑想に来られる方が転職して、新しい職場が決まったという報告を受けた。その内容は、今までの経験が生かせる、また土日休日が休みで、午後5時には仕事が終わるような職場と言うのでよかったなと思った。三宝の御加護があったということだと思う。

世の中は 心配すること 何もない 慈悲の心で 生きればよいのだ


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎10月15日(土)は雨安居終了日ですので、今回は東京都八王子市の善東院にある戒壇でウポーサタ(布薩)を行います。その為、クサラダンマ長老と私ワンギーサはそちらに出かけます。クサラダンマ長老は翌日16日岸和田に戻り、私は18日に戻る予定です。

◎私は現在、雨安居のため大阪府岸和田市のアラナ精舎滞在しております。上記10月15日~18日以外は、アラナ精舎のカティナ衣法要(10月23日「日」)まで、こちらに滞在することになります。それ以後については11月3日のゴータミー精舎のカティナ衣法要に参加するために東京に行きますが、その後、しばらくこちら(岸和田)にしばらく滞在させて頂きたいと考えています。宜しくお願い致します。

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この記事へのコメント

kempsford
2016年10月08日 05:49
おはようございます。
バンコクに観光旅行に行った際、常に誰でも食べることができる食事が準備されているお寺が、たくさんありました。おそらく近所の方々と思うのですが、おばさんたちが、すぐに食べられる簡単な食事を、常時用意してくれているのです。それは、私のような観光客でも、比丘の方々と一緒に食べてもよいのです。在家でも、そこで食事を頂く際には、「相応しい生き方」をすべきだと感じました。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年10月08日 09:47
おはようございます。
私事ですが、冥想合宿に参加させて頂いた時、休憩コーナーにお菓子や飲み物がずらっと並んでいました。これ幸いと貪るように頂きました。食べて美味しいと幸せな気持ちになっていた訳ですが、その後、尊敬している先輩修行者が全くその場所には来ない事にふと気が付きハッとしました。それを頂くのに相応しい修行を自分はしているのだろうか?と、とても恥ずかしくなり、俗世間人の自分を実感しました。失敗を生かして修行の姿勢とし、そして成長したいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素晴らしい一日となりますように。
たか坊
2016年12月12日 20:05
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪