ラーフラよ 賢者を軽く 見てないか 賢明な師を 尊んでいるか<再335>及び<再336>

○ワン爺さんの独り言<335>
・・・
智慧ある人はやさしいので、
友達のような気になるが、
それでは大切なことは学べない。


第2 小さな章 11.ラーフラ経 1.2.

○中村元先生訳
335
[師(ブッダ)がいった]、
ラーフラよ。しばしばともに住むのに慣れて、
お前は賢者を軽蔑するのではないか? 
諸人のために炬火(たいまつ)をかざす人を、
汝は尊敬しているか?」

336
(ラーフラは答えた)、
「しばしばともに住むのに慣れて
賢者を軽蔑するようなことを、わたくしは致しません。
諸人のために炬火をかざす人を、
わたくしは常に尊敬しています。」


○正田大観先生訳
338.(335) 
〔ラーフラに、世尊は尋ねた〕
「〔尊者サーリプッタと〕何度となく共に住んでいるがゆえに、
賢者たる者を見下すことがないか、どうか。
人間たちにとって松明の掲げ手である者は、
おまえによって、敬われているか、どうか」〔と〕。(1)

339.(336) 
〔ラーフラが答えた〕
「わたしは、〔尊者サーリプッタと〕何度となく共に住んでいるがゆえに、
賢者たる方を見下すことがありません。
人間たちにとって松明の掲げ手である方は、
わたしによって、常に敬われています」〔と〕。(2)


○パーリ語原文
335.
  カッチ     アビンハサンワーサー
‘‘Kacci     abhiṇhasaṃvāsā
かどうか    しばしば共住しているので

ナーワジャーナースィ   パンディタン
nāvajānāsi           paṇḍitaṃ,
軽んじない          賢者を

ウッカーダーロー   マヌッサーナン
ukkādhāro         manussānaṃ,
松明をかかげる人が  人々に

カッチ     アパチトー      タヤー
kacci      apacito        tayā.’’
かどうか   尊敬されている   お前によって


336.
ナーハン    アビンハサンワーサー
‘‘Nāhaṃ      abhiṇhasaṃvāsā
ない・私は    しばしば共住する

アワジャーナーミ   パンディタン
avajānāmi        paṇḍitaṃ,
軽んじる        賢者を

ウッカーダーロー   マヌッサーナン
ukkādhāro        manussānaṃ
松明を掲げる     人々に

ニッチャン    アパチトー   マヤー
niccaṃ       apacito       mayā.’’
常に        敬われている  私によって


○一口メモ
今回から、「ラーフラ経」が始まります。ラーフラとは世尊の一人息子です。彼はサーリプッタ尊者のもとで沙弥出家をし、20歳になって比丘になる具足戒を受けました。その時の師匠はサーリプッタ尊者でした。
世尊はラーフラが「生まれや種族や家柄や階級や蓮華のような美しさから、慢心や欲望を起こしてはならない」と考えて、若い時からずっと、教え諭すために、この経を説いたということです。

この経は8偈からなりますが、今回掲載した2偈は全体の序に当たります。釈尊が息子のラーフラに尋ね、それに対してラーフラが答えるというものです。

「たびたび共住することで、賢者を軽蔑することはないか」の賢者とは、サーリプッタ尊者を意味しています。
また、「人々に松明をかざす人」とは、人々に智慧の明かり、説法の明かりを掲げる人という意味で、これもサーリプッタ尊者を意味しているのです。

世尊は息子にサーリプッタ尊者を軽蔑したり、軽んじることがないかどうか尋ねているのです。

それに対し、ラーフラは世尊に「私は賢者を軽蔑することはありません。私はサーリプッタ尊者を常に敬っています。」と答えます。

以上の問答に基づいて、次回から世尊のラーフラへの教戒が始まります。この内容は私たち仏道の修業者にとっても重要なものですから、一つ一つしっかり学んでいきたいと思います。


○前回のこの偈の解説

ラーフラよ 賢者を軽く 見てないか 賢明な師を 尊んでいるか<335>
釈尊よ 賢者を軽く 見てないよ 賢明な師を 尊んでいる<336>
http://76263383.at.webry.info/201401/article_18.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年11月27日 04:33
おはようございます。
「ukkaadharo松明をかかげる人が…ukka炬・炬火・松明・たいまつ/dhara保持する・有する」。この語句から即座に想起することがあります。それは、本田宗一郎の、「自ら松明を掲げよ」という言葉です。「『ノープレイ、ノーエラー』を強く戒め、『何もしないから、失敗もしない』ということこそ、企業をつぶすもの」と社員に訓示しています。私は、「炬火をかざす人」を、心底尊敬致します。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年11月27日 09:41
おはようございます。
私事ですが、以前あるお坊様の親切な対応を頂戴し心地よくなり、何か図に乗ってしまうような頂けない自分がいました。後日そのお坊様の態度は180度変わり、何か大事なことを教えて下さろうとして下さいました。本文を拝見し、その意味が分かりましたように思います。
長老に対して上記の様な不遜な姿勢を持つことなく、真摯に学ばせて頂き・そして実践していけるようにしたいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素晴らしい一日となりますように。