善友と 親しくしなさい 村離れ 修行しなさい 食ほどほどに<再338>

○ワン爺さんの独り言<338>
・・・
良い友達と付き合いなさい。
喧噪から離れない。
また食べ過ぎはいけません。


第2 小さな章 11.ラーフラ経 4.

○中村元先生訳
338
善い友だちと交われ。
人里はなれ奥まった
騒音の少ないところに坐臥せよ。
飲食に量を知る者であれ。


○正田大観先生訳
341.(338) 
善き朋友たちと親しくせよ。
さらには、騒音少なく、
〔人里から〕遠離した、辺境の臥坐所に〔慣れ親しめ〕。
食について量を知る者と成れ。(4)


○パーリ語原文
338.
ミッテー    バジャッス   カリャーネー
‘‘Mitte      bhajassu      kalyāṇe
友たちと   親しめ       善い

パンタン チャ   サヤナーサナン
pantañ ca      sayanāsanaṃ
辺境の と      坐臥処に

ウィウィッタン    アッパニッゴーサン
vivittaṃ        appanigghosaṃ
遠離した       騒音のすくない

マッタンニュー   ホーヒ    ボージャネー
mattaññū       hohi      bhojane.
量を知った者    あれ    食物において


○一口メモ
前回に引き続き釈尊が息子ラーフラに述べた言葉は、「善友と親しみなさい」ということです。仏教では善友と親しむことの重要性を何度も説かれています。善友と親しむことは仏道修行のすべてだとまで言われています。それは修行の始めでめでも、中ほどでも、終わりにも重要なことなのです。ラーフラの場合は善友とは直接的には、師匠でもあるサーリプッタ尊者を意味します。ですから、ラーフラ経の始めの問答にありましたように、サーリプッタ尊者を尊敬し、すべての行ないを見習い、質問し教えを乞うようにということでもあります。

それから、人里離れた静かな場所で生活し修行しなさいと注意します。その意味は静かな場所は確かに、修行環境はよいのですが、それ以上に重要なことは周りの人々に依存しないといことです。自分自身を観察すれば分かることですが、一人が好きという人も、時々人が恋しくなったり、淋しくなったりします。それは他人に依存しているのです。生命の本質として、一人では生きていられないということがありますから、生命には他に依存するという性質があるのです。そのことが一人で生活し、修行するとそのことで、よく分かるのです。仏道の修行は、他に依存しない、独立した自由な人格を作る必要があるので、人里離れた静かな場所で生活し修行する意味があるのです。(在家修行者にとっての修行は、形の上で離れていることよりも、精神的に他の人々に依存しないという生き方を目指せば善いと思います。)

三番目の注意事項は、「飲食に量を知る者であれ」です。このことも経典に度々述べられていることです。例えば、ダンマパダ185番には、「静かなとことで、騒音の少ないところに坐臥せよ。」同時に、「食事に関しては適当な量を知り」と述べられています。
ののしらず 道徳守り 適量食べて 静かに暮らし 心を守る(185)
http://76263383.at.webry.info/201209/article_3.html

「食事の適量を知る」の意味は必要以上の食物を取るなと言うことです。必要以上の食べたいのは欲です。欲をなくすことは、苦しみの原因を断つことであり、重要な実践的な修行なのです。また、食べ過ぎと感覚が鈍くなったり、瞑想時に眠くなったりします。瞑想の妨げになります。
食事を自分の意志でコントロールすることは大きな意味があるのです。

以上、この偈では、善友、遠離、食事について述べられました。


○前回のこの偈の解説

善友と 親しくしなさい 村離れ 修行しなさい 食ほどほどに<338>
http://76263383.at.webry.info/201401/article_20.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年11月29日 04:24
おはようございます。
「尊き方よ、どうぞ、わたしに、簡略に教えをお説きください。その教えを聞いて、わたしは、独り遠くはなれたところで、怠けることなく、熱心に、自ら努力して暮らそうと思います」。修行者が、お釈迦様にこのようなお願いをする場面は、色んな経典に書かれています。いったん、教えて頂いたならば、後は、その教えを実践し、たとえ一人でもやり抜く。この覚悟がないと、なにもできません。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年11月29日 20:06
私事ですが、仕事や家事やその他等々、修行ではない何かに接点を求める様な、刺激を求めているような自分がいます。それは自立してない、依存的なものを感じます。今の環境自体は大きく変えれませんが、志を持って、その誘惑に負けない様にしたいです。
ワンギーサ長老・皆様にとって、素適な夜となりますように。
シンプルなネズミ
2016年11月30日 03:51
宇宙に一人。しかし一人ということさえ幻かと思います。一人という苦しみは、自分が人間として存在していることを改めて気付かせてくれます。
本質は0人です。ただ目の前で自分という人間が生成され続けているのです。いや自分という思い込みが成立してしまうのです。いかなる瞬間の自分も正確に捉え切ることができないゆえに、自分の妥協的な幻を起ち上げることで生きている実感を得た上さらに、人生とは何か…というインチキ思考にも慣れ親しんでいる有り様です。
一人という幻。皆と繋がっているという幻。人間という特徴があるのみ…。
幸せでありますように。