尊敬されるべき人

ワン爺さんの独り言(2017.1.12.)
今回はテーマを変えて「尊敬されるべき人」に関する「理法」をSRKWブッダのHP「覚りの境地」から紹介しましょう。http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou005.htm


以下引用。
【尊敬されるべき人】
尊敬されるべき人とは、智慧ある人のことを言います。 すなわち、覚りの境地に至った人あるいは善知識である人のことです。 では、何故これらの人々は尊敬されるべき人と呼ばれるのでしょうか。

これらの人々は、図らずも慈悲喜捨を体現している人であるがゆえに「尊敬されるべき人」と呼ばれます。 これらの人々は、真実にやさしい人であるがゆえに、誰からも「尊敬されるべき人」と呼ばれることになります。 これらの人々は、本人がどのように思っていようが実は苦しんでいるのだと感じた相手に対して、彼らを最高の形で救うための答えを今何としてでも探し出してあげたいと無条件に考え、最高の答えを模索しようとこころから努力するやさしい人々です。 それは、友に対しても、その他の味方に対しても、誰に対しても、敵に対してさえ区別無くやさしく振る舞う人々です。 彼は、誰とも敵対するということが無い人です。 彼は、人と争う心を(少なくとも心の根底において)微塵も持たない人です。 そのような人であるがゆえに、誰もが(自らの利害、損得を越えて)彼を「尊敬されるべき人」と呼ぶに至るのです。

[特徴]
尊敬されるべき人には、いろいろなタイプの人がいます。 勿論、健常者もいるでしょう。 しかしながら、そうで無い人もいることでしょう。 病気で健康を害している人。 事故などで怪我を負った人。 後天的に、あるいは生まれながらにして身体障害者である人。 やや知能が低い人。 その他、あらゆる見かけの人々が尊敬されるべき人であり得ます。 身体や頭脳の障害は、尊敬されるべき人を損なうものではありません。 なぜならば、尊敬されるべき人の特徴とは「心に障害が無いこと」であるからです。

[心に障害を為す要因]
意識(我:自我)の下にあって、心に障害を為す要因には大きく二つの種類があります。 一つは引っかかり(ケイ)を生じる「個人的無意識」すなわち原始経典に言う「名称:nama」にもとづく障害であり、もう一つは障害(ゲ)を生じる「集合的無意識」すなわち原始経典に言う「形態:rupa」にもとづく障害です。 尊敬されるべき人のこころである真実なる素直なこころ、すなわち智慧、すなわち法(ダルマ)は、それらのさらに奥底からそれらの心的障害を超えて突きあがってくるものです。 このようなことから、例えば般若心経では、尊敬されるべき人の境地(覚りの境地)を指して心無ケイゲの境地、すなわち心に引っかかり(ケイ:網頭らに圭)とさまたげ(ゲ:礙)が無い境地であると述べているのです。 つまり、尊敬されるべき人とは、名称と形態(nama-rupa)にもとづく心の障害が無い人、あるいはその障害が少ない人のことを指して言う言葉です。
以上引用です。

〇ワン爺のコメント
上の文章を読んで、尊敬されるべき人は、智慧ある人、真実にやさしい人、そのような人は心に障害が無いのが特徴のようです。
さらに、「心に障害を為す要因」について述べられていることは少し難しいです。テーラワーダ仏教で勉強した事柄と少し異なることが書いてあります。その違いを明確にしておかないと、これから以後このブログで紹介する内容が理解できない、または混乱する、あるいは反発することになると思います。
心に障害を為す要因は「名称:nama」と「形態:rupa」としています。
テーラワーダ仏教では「名称:nama」は精神(心)と考え、「形態:rupa」は物質(身体)と考えています。しかし、SRKWブッダは「名称:nama」は「個人的無意識」と考え、「形態:rupa」は「集合的無意識」と考えているようです。
この違いについては、後日さらに検討しますが、どちらが正しいかと考えるのでなく、そのように考えているのだと理解してSRKWブッダの説明を学んだ方が役に立つと思います。

以下ウキペディアによる言葉の説明。
個人的無意識(こじんてきむいしき)とは、個々の人間に固有な無意識であり、集合的無意識の対語である。個人の人生の過程と関連した不快な記憶や情動、感情を混乱させる幼児期の外傷体験や原始的な本能を抑圧する領域である。個人の自我を種々の不快な記憶や苦痛な刺激となる欲求から防衛する機能を持っている。

集合的無意識(しゅうごうてきむいしき、)は、カール・グスタフ・ユングが提唱した分析心理学における中心概念であり、人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域である。普遍的無意識(ふへんてきむいしき)とも呼ぶ。個人的無意識の対語としてあり、ユングはジークムント・フロイトの精神分析では説明の付かない深層心理の力動を説明するため、この無意識領域を提唱した。


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この記事へのコメント

クリームコロッケ
2017年01月12日 06:40
SRKWブッダの「名称:nama」と「形態:rupa」に関する説明と同様のものは、自分は寡聞にして存知ません。ご自身で体得されたものと考えるのが自然だと思います。
名称を名称作用のもとい、形態を形態作用のもといと捉えるとわかりやすいと思います。
自称五番弟子
2017年01月12日 13:31
日常の生活の中で瞬間的に自我(我執)を
守ろう(安心させよう)と思考する自分を
観る事があります。
形態作用の一つなのでしょうか・・・、
この様な心構えでは何一つ
手放すことはできませんね・・・。

他ならぬ自分自身の苦しみの根本であろう
このガラクタ、自我(我執や愛執)を手放す
道を日々の遍歴の中で自ら見い出す道が
仏道なのでしょう。
SRKWブッダ
2017年01月12日 18:21
我執や愛執を手放す道を日々の遍歴の中で自ら見い出す道が仏道なのでは無い。また、決して自分自身を捨て去ってはならない。

仏道とは、真実の真相を明らめることによってその真実を知り、因縁を生じて解脱する道のことを指す。

***
自称五番弟子
2017年01月12日 20:57
全く心得違いをしておりました。
先生とブログ読者の方々に
お詫び申し上げます。

もう少し自分の心を省みて
これからも慎んで精進して参ります。
コメントも控えます。
かっしー
2017年01月13日 07:30
発言しなければ、そのことについて知る機会は無かった。

発言したから、そのことについて知る機会があった。
てくてく
2017年01月13日 08:54
おはようございます。
てくてくと申します。
書き込み失礼致します。

自分は、この記事のコメント欄から、

『問うことによって』rihou【194】

を思いました。
2018年03月14日 01:02
 個人的な無意識と集合無意識の関係は、単純に言うとトラウマと環境要因ですかね?

 いわゆる「関係こそ私」が障害要因として生じてるのでしょうか。