「真実のやさしさの起源(ルーツ)」

ワン爺さんの独り言(2017.1.26.)
昨日は信じるべきものは「人は実はやさしい」ということを学びました。ではその「やさしさの起源」すなわち「やさしさはどこから来るのか?」を学びましょう。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou019.htm

(以下引用)
【やさしさの起源】
やさしさはどこから来るのでしょうか? 人々は、「それは、きっと生まれてからこれまでに得た経験や人として持って生まれた人情に由来するのであろう」と漠然と考えているかも知れません。 しかしながら、真実のやさしさは、人が個人的な経験によって獲得したものでは無いのであると知られます。 また、真実のやさしさは、人類が長い年月を重ねて熟成させてきた文化、すなわち人情(感激)や人情のエッセンス(感動)から出てくるものでも無いのであると知られるのです。 真実のやさしさの起源(ルーツ)は、それらよりもさらに深いこころの場所と言うべきところにあって、各自の因縁によって突如として表層に突き上げてくるものであるからです。

人々は、やさしさが顕わになるときには、それと同時に胸を震わせる深い感動を生起するものだと思い込んでいるかも知れません。 しかしながら、真実のやさしさはそのような動揺した意識の中で現れるのでは無く、まったく揺らぐことのない研ぎ澄まされた意識の中で顕わになるのです。 実際に、覚りに向かいつつある観の終着点において人がその<特殊な感動>にひたっている間、心は完全に冷静であり、平静であり、まったく揺らぎがないことを知るのです。

真実のやさしさがもたらすこの<特殊な感動>は、それが「生まれて初めて味わった感動である」ということが本人に知見されるため、それがそうなのだと主観的に判別できるのです。

なお、人類が作為した世間的な「感激」や「感動」には、次のような共通点があると言ってよいでしょう。

① 繰り返し味わうと、飽きがきて感動(感激)しなくなる
② どれもこれも突き詰めれば似たような「感激」であり「感動」であることに気づく

一方、真実のやさしさがもたらす<特殊な感動>には、①、②のようなことが無いのです。 それによっても、それが真実のやさしさによってもたらされた特殊な感動であることを知ることができるでしょう。

[補足説明]
それが生まれて初めて味わった感動であるということを指して、金剛般若経では『応無所住而生其心』、すなわち「住する所無くして、しかも其の心を生ずべし」と述べています。 ここで、住する所が無いとは、いかなるものにも寄りかかることが無くしてという意味であり、平たく言えば生まれる前から内在している何かであるというべき「それ」という意味です。
(以上引用)


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この記事へのコメント

Satya
2017年01月26日 17:40
「真実のやさしさ」は因縁があって、心の奥から生じてきます。

これは真如(菩提心)であり、特殊な感動をともないますが、ここから更に因縁があって心身(名称・形態)の脱落が起こり、この菩提心が「諸仏の誓願」となりえるのだと思います。

菩提心の覚知は因縁があってのち、深い定からの出定時の一瞬で起り、心身脱落後の「定」には感受の「離」があります。

「諸仏の誓願」は菩提心が静かに、住する所無くして生じていて、感受したことに離があることはもちろんですが、それは「冷たさ」ではなく「静かなあたたかさ」なんだろうと思っています。