人は、それをこころから望むならば、誰でも覚りの境地(=ニルヴァーナ)に至り得る。

ワン爺さんの独り言(2017.1.4.)
今日はSRKWブッダのHP「覚りの境地」(http://www.geocities.jp/srkw_buddha/)の「素質」の欄を紹介します。「覚りの境地は、虚 妄ならざる安らぎである。この境地に至ったならば、一切と争うことがない。この境地に至った ならば、憂いがない。こころある人は、他ならぬ自らによって道を見いだし、歩み行きて、 因縁を生じ、この不滅のニルヴァーナに到達せよ。」とはじめに書かれていますが、多くの人々は「覚りの境地」を求めていないように思います。さらに、「覚りの境地」を得られるものならば、得たいものだと思っている人も、自分にはそのような素質がないと思っている人も多いと思います。そこで「覚りの境地に到る素質」とはどのようなものか知る必要があるのです。

以下引用。
【素質】
 人は、それをこころから望むならば、誰でも覚りの境地(=ニルヴァーナ)に至り得る。したがって、覚りの素質などというものは何ら存在していない。しか しながら、実際には、世において覚りの境地にすみやかに至る人とそうでない人がいるのは厳然たる事実である。この事実を鑑みて、すみやかに覚りの境地に 至った人には何らかの素質があったのだと後づけで認められ、(死ぬよりも前に)ついに覚りの境地に至らなかった人には素質が無かったのだと認めざるを得ないであろうと言うのであるならば、その時に限り、その意味においてのみ<覚りの素質>ということを論じることができるのである。

<覚りの素質>とは、一言で言えば素直な人であるかどうかということである。なんとなれば、素直な人だけが、ことに臨んでその素直さゆえに善なる行為を 為し遂げるのであると言えるからである。かれのその行為は、自分ならざる如何なるものにも依拠することなく為されたものであり、それは(強いて言えば)かれ自身のこころの奥深くから突き上げてくる「それ(=真如)」によって発動したものである。それは、およそ人(=衆生)なれば誰しもが執著するところのあらゆる心理的障礙を超えて為される行為である。それは、人を超えた真実の行為に他ならない。それゆえに、それを為し遂げた本人でさえ、行為の本当の理由(行為の動機たる潜在的素因とも言うべき「それ(=真如)」)の真実を説明することは出来ないのである。それどころか、かれは、自分が為し遂げた行為の本 当の意味に気づくことさえない。「それ(=真如)」の発動は、不可思議なる因縁によるものであるからである。

<覚りの素質>に関する具体的記述は、例えば法華経-方便品第二の中に見ることができる。そこでは、生まれながらにしてすでに発心している人、あるいは この世において発心し、今生において間違いなく覚りの境地に至るであろう<素質ゆたかな人>の特徴を次のように記している。

以上引用終わりますが、法華経-方便品第二の該当する部分については、PH[覚りの境地]を参照して下さい。
また、六祖慧能による覚りの素質の説明も紹介されています。

要するに、人は、それをこころから望むならば、誰でも覚りの境地(=ニルヴァーナ)に至り得る。したがって、覚りの素質などというものは何ら存在していないということであります。また、別の言い方をすれば、覚りの素質とは、一言で言えば素直な人であるかどうかということであるということであると思います


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この記事へのコメント

三日坊主
2017年01月04日 07:59
「素質」について大切なのは「素直さ」であると教わり、大学時代のエピソードを思い出します。「短歌は魂の浄化である」と指導していた短歌の先生から、私の歌は「自己韜晦」だと教わりました。意味はなんとなく、「自分を偽っている」とかいう意味かと思います。仏道も短歌も通じるところがあり、素直な人は素質があります。さて、私は凡庸な才能で、ひたすら自分を偽り、隠し、生きてまいりました。しかし、SRKWブッダの教えに出合ったことを機に、そろそろ座禅に本腰を入れて、自分に付着した虚偽、虚飾を排し、本質に近づけたらいいですね
匿名
2017年01月04日 21:56
[覚りの境地]の法華経方便品第二該当部分など読んでみました。
自分には、それが「お釈迦さまの教え」とは思えないのものだとわかりました。
大乗経典を学んできた日本人にとって、それは古巣のようなものかもしれない、と思い始めた今日この頃。
それらに触れることなく過ごしてきたことに、安らぎを感じます。