言葉と文字・説とことば

ワン爺の独り言(2017年7月17日)
今回のSRKWブッダの理法を二段階で理解しました。第一段階は言葉と文字の外見と中身です。第二段階は「『ことば』は人を正しい道にいざなうものである」と言うことです。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou165.htm



(以下引用)


【言葉と文字・説とことば】



それを発した人が誰であろうと、他の人の口から語られた言葉を「説」として聞き、あるいはまた他の人の手によって綴られた文字を「説」として読みとるならば、それではその人が解脱することは遠いこととなる。その一方で、それを発した人が誰であろうと、他の人の口から語られた言葉を「ことば」として聞き、あるいはまた他の人の手によって綴られた文字を「ことば」として読みとるならば、その人はついにはその言葉や文字によって解脱して覚りの境地に至るであろう。



「ことば」は、人を正しい道にいざなうものである。「ことば」は、人に真実を知らしめるものである。そして「ことば」は、人をやすらぎへと導き至らしめるものである。その一方で、「説」は、人の道を迷わしめるものである。また「説」は、人を惑わすものである。そして「説」は、人のやすらぎを損なうものである。



言葉や文字によって煩うことのない人こそが賢者である。言葉や文字によって人を損なうことのない人こそが強者である。そして、言葉や文字によって自他をやすらぐ人こそが知者(=道の人)である。



こころある人は、言葉や文字を争いの道具と化せず、言葉や文字に惑わされることなく、言葉や文字を縁として正しい道を見いだしてさとり、覚り終わって、この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至れかし。


(以上引用)



*ワン爺のコメント

言葉と文字には、外見と中身があります。例えば、躾けの言葉の外見は怒りの言葉に聞こえることがあります。しかし、その中身は怒りの言葉ではないのです。そのように、言葉と文字を外見だけで見ることをこの理法では「説」と述べているのです。言葉と文字の中身を「ことば」と表現されているのだと思います。

ここからは、私の深読みで当たっているとは言えませんが、言葉と文字の「ことば」を感じられたら、たとえそれが怒りの言葉であったにせよ、その言葉の「ことば」感じられたら、そこにはその人の心が現れていて、怒りとともに悲しみや寂しさがあり、その人の優しさもあるのかもしれません。



この記事へのコメント

Satya
2017年07月17日 18:41
このブログの文字を「ことば」として読みとり、今年の誕生日の2日前(1月)に智慧を生じるとは如何なることかを知りました。

2月は至福の境地にありましたが、3月頃から仕事が入り始め、今に至っています。

隠退の日が楽しみです。
ワンギーサ西津(管理人)
2017年07月18日 09:00
Satyaさん、久しぶりですね。
コメントありがとうございます。
最近、コメントがあまりないので、寂しい思いをしていました。
ところで、智慧を生じることがわかったようですが、
それは素晴らしいことです。
おめでとうございます。
また、時々コメントしてください。