正しい解釈

ワン爺の独り言(2017.7.6.)
正しい解釈は、正しい道を歩むために必要です。しかし、正しい解釈は、他人に教えてもらうものでなく、自ら失敗しながら、自ら見い出してこそ正しい道を歩むことができます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou154.htm



(以下引用)


【正しい解釈】



正しい解釈は、正しい理解のもといである。正しい理解は、正しい行為の動機となる。正しい動機は、正しい道を歩む(かれにとっての)よすがである。人は、そのようにして自ら見い出した道を歩んでこそ、究極に到達する。究極に到達したならば、その歩んだ道が正しかったのであると認められる。



かれ(彼女)の正しい道の歩みは、自分ならざる何かに依拠したものではなく、まさしく自らに依拠して見いだされたものである。それゆえに、その正しい道の歩みを、いかなる者も誤らせることはできない。そして、人は、まさしくそのようにして円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達するのである。



誰が口にしたかはさておき、よく語られた真理の言葉を耳にして、それをこころに留めるならばそれはこの道の歩みの確かな糧となる。それは、かれの根本の疑惑と憂いとを打ち砕くもとのものとなるからである。耳聡き人にこそ、大いなる利益(りやく)はもたらされる。聡明な人は、ことわりを聞いて自らの道を浄め、他ならぬ自らによって自らを究極に至らしめよ。



(以上引用)


*ワン爺のコメント
修行者が正しい解釈をすべき時は、経典を読む時と、何か困ったことに遭遇した時だと思います。
経典を読む時は、もちろん自分かってな解釈では、経典を読む意味がないのですが、しかしはじめから正しく解釈できるかと言えば、そればそれはほとんど不可能なのではないでしょうか。それでも、そこに何かを感じて正しい道を歩む糧にすべきでしょう。失敗することもあるかもしれませんが、自分で解釈したのならば、失敗の意味もわかります。諦めない限り、全て失敗と思われることも成功(解脱)の足がかりになると思います。

困ったことに遭遇しても、同様に全て成功(解脱)のための足がかりです。その意味では、心がけ正しい人にとって、本来困ったことに遭遇しないのです。これは私の信念です。

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