怯えからの解放

ワン爺の独り言(2017年7月9日)
怯え、恐怖は私たちが安らげない最大の原因の一つです。怯えがなくなった状態はどんなに素晴らしいでしょう。怯えからどのようにして解放されるのかSRKWブッダから学びましょう。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou157.htm



【怯えからの解放】



悪心を以て計らう者は、恐れおののく。心に邪念を抱き、種々の思惑を生じてあれこれと奔走する者は、そこかしこにただならぬ気配を感じて怯える。



悪をとどめ、一切のはからいを離れた人は、おののかない。邪念を排し、思惑を超えて直ぐなる行為を為す人の心は平安である。



意地悪な心が、諸悪の潜む巣窟である。我執(我ありという思い)と愛執(我がものという思い)〔=執著〕が、心を穿ち蝕み、意地悪な心を増大せしめるもとのものである。愛し好むものが、執著の機縁である。欲望によって、愛し好むものが生じる。



それゆえに、世間の何に触れても欲望を起こすことのない人は、執著の根を断ち切って、悪をとどめている。かれ(彼女)には、おそれるものがない。かれ(彼女)は、何かに怯えるということがない。かれ(彼女)は、固執して好き嫌うということがない。かれ(彼女)は、感官の接触についてよく心を修めている。かれ(彼女)は、平らかな心をすでに完成している。



もし人が、この安らかな心を得ようとするのであるならば、省みるべきである。他ならぬ自らの行為について省察し、平らかな心の真実のありようについて観察・熟考せよ。観察・熟考して知り得たことを、自らの道のあゆみの糧とせよ。しかし、そうして得たことそのものには、こだわってはならない。あるいはまた観を為し、平等心そのものについて自らの心に問うべきである。正しい問いは、つねに正しい答えをもたらすからである。

人が、よくこれらのことを為すならば、覚り以前においても、けしかけられない心を得ることができるであろう。そうして、聡明な人はついに究極のやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至るのである。





[補足説明]


悪魔とその軍勢とは、次のものを指す。 1)欲望 2)嫌悪 3)飢渇 4)妄執 5)惰眠(怠惰) 6)恐怖 7)疑惑 8)傲慢



[補足説明(1)]

観察 → <二種の観察>:スッタニパータ
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou_nisyunokannsatu.htm



執著のもとのもの → <争闘>:スッタニパータ

http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou_soutou.htm



*ワン爺のコメント

SRKWブッダは今回の理法の補足説明にスッタニパータを引用されておりますが、私はそれに追加して、スッタニパータの935番を引用したいと思います。

「殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執ってうとうとしたことから恐怖が生じたのである。・・・・・」(中村元 訳)

普通私たちは、恐怖があるから武器を執ると考えていますが、そうではなく、武器を執ったから恐怖が生まれるのだと教えているのです。本当にそういうものなのか、自己の心をよく観察する必要があります。




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