雑感

ワン爺の独り言(2017年9月17日)
今回はSRKWブッダの覚りについての雑感です。「他の人が覚った(悟った)と言う話や声を書物やインターネットで見聞きして、自分も仏になれるかも知れないと本気で思ったことが重要なターニングポイントであった。」と述べておられます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou221.htm



(以下引用)

【雑感】



このページは、異例ではあるが敢えて私の覚りについての雑感を記し、また別の場所で行った雑感投稿の過去ログを紹介する。



────



そもそも人の覚りは不可思議なものである。何がその機縁となり、何が解脱の因となるかは誰にも予見できないものであるからである。



さて、私自身の体験を言えば、他の人が覚った(悟った)と言う話や声を書物やインターネットで見聞きして、自分も仏になれるかも知れないと本気で思ったことが重要なターニングポイントであった。もちろん、それらの話や声はそのほとんどが彼らの単なる思い込みの所産であると今は分かっている。しかしながら、たとえ思い込みであっても、彼らが自ら解脱して仏になれたということを表明したそれぞれの話や声は、どこか胸を打つものであったのは確かである。私はそれらの話や声に触発されて、自分も仏になれるような気がしたからである。



『他ならぬ自分自身が仏になれるということを深く信じること』



これが仏道を歩む上で最も大切なことであるのは確かである。



以下、私自身が投稿した過去ログを引用する。 そこに主な雑感をすでに記しているからである。

 

→ BLOG過去ログ(2004年):http://www.geocities.jp/srkw_buddha/blog2004.htm


(以上引用)




*ワン爺のコメント

この「雑感」の最後にSRKWブッダの過去(2004年11月)に掲載した16項目の雑感を参照できるようにアドレスが記載されていますが、そのテーマを次に列挙します。興味ある項目をお読みください。

1、すべての始まり
2、人は信仰を起こすべきである
3、因縁によっている
4、人が目指すべき境地
5、修行と称するものからの出離
6、けしかけることなく、けしかけられることなく道を歩むべき
7、誰かにあこがれたことはない
8、仏教の学びについて
9、基本的公案に取り組むこと
10、公案の功罪
11、ニルヴァーナに至るまでの道のり
12、覚りは前触れなく突然にやってくるもの
13、覚者の楽しみ
14、覚者が語る真実
15、熱望について
16、法の句は如来とは無関係に世に出現する

以上。

この記事へのコメント

Satya
2017年09月18日 12:03
情欲を超えた後に、法の句の出現を知ることができるのでしょう。

rupaの脱落があり、かつ情欲を超えた後であれば、文字による法の句の出現を知ることが可能のように思います。