愚問

ワン爺の独り言(2017年9月6日)
はじめは愚問かどうか恐れずに、問いを発した方がよいと思います。なぜならば自分の疑問(興味)がどこにあるかはっきりしてない場合が多いからです。しかし、ある程度問えば、自分の問いが愚問かどうか考察する必要があるでしょう。どのような問いが愚問なのかこの理法から学ぶべます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou212.htm


(以下引用)

【愚問】



愚問を発しながら、それが愚問であることを知らない者がある。



たとえば、Aというものがあり、ある人がAを説明するために次のように表現したとしよう。



・ Aとはこのような形のものである。

・ Aとはこのような色のものである。



そこへ次のような問いを発する者が現れた。

「形と色、この二つはどのように違うのでしょうか?」



これが愚問の一つの典型である。

この問いを発した者は、Aそのものには何の興味も示しておらず、そもそもAを知ろうとしておらず、説明者がAについて語ることの真意を解していない。かれは、ただ言語表現された言葉に興味を示し、枝葉にこだわって独り相撲をとり混乱しているのである。



このような者は、ひねくれ者と呼ばれ、また愚か者と呼ばれる



ところで、愚問を発する者が覚りの境地に至ることがあり得るのであろうか? それは恐らく難しい。愚者は、問い以前の問題を心に抱えているからである。そして、そのことに気づくことそれ自体が難しいことである。愚者は、まさしくそのようであるゆえに愚者と呼ばれ、ひねくれ者と呼ばれるのであるからである。


(以上引用)


*ワン爺のコメント

愚問を続けることは人生を無駄に過ごすことになります。問いは、自分の疑問(興味)に基づいているはずですが、愚問はそうではないのです。その人の興味が移っているのだと言えばかっこいいですが、実はその人はほんとうに何かを知りたいと思っていないのです。その人は大切なことを何も知らずに人生を終わることになるのです。

ですから、自分の問いが愚問かどうか省察するか大切です。これは私自身にも必要なことだと思っています。

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