苦の因とその滅

ワン爺の独り言(2017年10月15日)
苦しみの原因は色々あります。この原因の一つだけでもとり除ければ苦しみが無くなります。この理法では「聡明な人は、自ら為す観(=止観)によって苦の因の真相を知る。そして、ついに苦の因の滅(=智慧)を見い出して一切の苦悩から解脱するのである。」と教えています。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou242.htm



(以下引用)

【苦の因とその滅】



苦しみの原因が、苦の因である。

素因が、苦の因である。
無明が、苦の因である。
潜在的形成力が、苦の因である。
識別作用(識)が、苦の因である。
接触が、苦の因である。

感受が、苦の因である。
妄執(愛執)が、苦の因である。
執著が、苦の因である。
起動が、苦の因である。
食料が、苦の因である。
動揺が、苦の因である。
従属が、苦の因である。

それゆえに、苦しみの原因,素因,無明,潜在的形成力,識別作用(識),接触,感受,妄執(愛執),執著,起動,食料,動揺,従属が無くなった人は苦の因がない。彼は、苦の因の滅をすでに為し遂げている。

聡明な人は、自ら為す観(=止観)によって苦の因の真相を知る。そして、ついに苦の因の滅(=智慧)を見い出して一切の苦悩から解脱するのである。



喜びという言葉を知っていても、それだけで喜びを感受するという訳にはいかない。楽しみという言葉を知っていても、それだけで楽しみを体現すると言う訳にはいかない。

それと同じように、苦の因についてのそれぞれの言葉を知っているだけでは苦の因の滅を為し遂げることはできない。ただ、心構え正しき人がついに苦の因の滅(=智慧)を見い出してさとり、さとり終わって、この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達するのである。

(以上引用)


*ワン爺のコメント

今回の理法を理解するためには、「スッタニパータ第三大いなる章12二種の観察」という経が参考になります。私のこのブログでは、その解説を2014年12月31日から2015年1月17日にかけて掲載しました。興味ある方は参考にしてください。その内容に関しては一部修正した方が良いと思うところもあります。しかし、最近の私のブログを読まれている方はそこはどこか分かると思います。そのアドレスは次の通りです。
http://76263383.at.webry.info/201412/article_31.htmlから
http://76263383.at.webry.info/201501/article_17.htmlまで


この理法で大切なところは後半です。また引用します。

「聡明な人は、自ら為す観(=止観)によって苦の因の真相を知る。そして、ついに苦の因の滅(=智慧)を見い出して一切の苦悩から解脱するのである。


喜びという言葉を知っていても、それだけで喜びを感受するという訳にはいかない。楽しみという言葉を知っていても、それだけで楽しみを体現すると言う訳にはいかない。


それと同じように、苦の因についてのそれぞれの言葉を知っているだけでは苦の因の滅を為し遂げることはできない。ただ、心構え正しき人がついに苦の因の滅(=智慧)を見い出してさとり、さとり終わって、この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達するのである。」

最後に一言。最近この「観(=止観)」の実践によって心解脱をした方がおられるようです。







この記事へのコメント

toshi
2017年10月15日 10:34
 人は誰でも、「歓喜」を求めて日々生きています。しかし、その「歓喜の中」にこそ、しっかり「苦しみの原因」 が潜んでいることに気付かなければいけないのですね!
SRKWブッダ
2017年10月15日 14:00
その「歓喜の中」にこそ、しっかり「苦しみの原因」 が潜んでいることに気付かなければいけない:

仏道を歩むことはここに始まり、ここに終わるのであると考えて大過ないでしょう。ただし、解脱はこの苦の完全な解決を見て起こることになります。その決定的なそれを智慧と名づけるのです。

いかなる苦も解脱の直接の因とはならない。しかしながら、歓喜の中に苦を見る聡明な人は、精進するならばついに大歓喜(=〈特殊な感動〉)を生じ、同時に解脱を生じる。これが仏道の真実に他なりません。
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