覚りの障害

ワン爺の独り言(2017年11月14日)
「覚りに役立つものであると思っていることがらが、実は覚りの道の障害となっている。」とSRKWブッダは言われます。詳しくは今回の理法をお読みください。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou274.htm


(以下引用)

【覚りの障害】

知恵の輪を解くための手が、実は知恵の輪が解けるのを邪魔している。 知恵の輪のからくりにはそのようなものが少なくない。 したがって、左利きの人の方が右利きの人よりも解けやすい知恵の輪があるのは事実である。

これこそ覚りに役立つものであると思っていることがらが、実は覚りの道の障害となっている。 覚りを困難にしているのは、皮肉にもそのような心の仕組みであるのは確かである。 情欲が、覚りの大きな障害である。 人智が、人を迷わせているものの最たるものである。 したがって、情欲を捨て去ることが捨て去ることのなかでは最上であると言われ、人智に陥らないことが仏智(=智慧)を得るための最後の関門であると説かれるのである。

まつわることがらをすべて理解できたとき、それらを超えた境地に至ることができるのだと言い張る者がある。 しかし、それは事実ではない。 実際に起こることは、それらを超えたとき、それにまつわるすべてのことがらを理解するに至ると言うことである。 たとえば、すべての赤色を知って赤色全体を理解するに至るのではなく、たった一つの赤色を赤色だと知ったとき、同時にすべての赤色を理解するに至る。 それと同じく、人間らしいことがらをすべて知って仏になるのではなく、たった一つの智慧によって仏になったとき、人間めいたことがらのすべてを理解するに至るのである。 「超える」と言うのは、実際にはこのようなことなのである。

たった一本の道筋によって、知恵の輪は解ける。 たった一つの赤色を知ることによって、赤色すべてを理解できるようになる。 たった一つの智慧を得て、人は仏になる。 それぞれのことがらは、まさしく事実である。 そして、覚りの障害も実はそんなに多くない。 こころある人が、真実のやさしさを知ろうとするならば、あらゆる障害は消え失せるであろう。

(以上引用)


*ワン爺のコメント

「すべての赤色を知って赤色全体を理解するに至るのではなく、たった一つの赤色を赤色だと知ったとき、同時にすべての赤色を理解するに至る。 それと同じく、人間らしいことがらをすべて知って仏になるのではなく、たった一つの智慧によって仏になったとき、人間めいたことがらのすべてを理解するに至るのである。 「超える」と言うのは、実際にはこのようなことなのである。」

という指摘は実に納得のいく物です。
知恵というものがどのようなものか腑に落ちました。

この記事へのコメント

toshi
2017年11月14日 17:33
 「これこそ覚りに役立つものであると思っていることがらが、実は覚りの道の障害となっている。」とは、全く笑えない皮肉?です。・・・だから、「まつわることがらをすべて理解できたとき、それらを超えた境地に至ることができるのだと言い張る者」が出てくるのでしょう。・・・本日の「理法」は、とてつもなく大きな「さとり」への示唆を私たちに与えてくれています。それは、「たった一本の道筋によって、知恵の輪は解ける。」と言う事実です。・・・例えば縁起において、「どれでもよい。苦の要因を一つでも滅することができれば、同時にすべての苦の要因が消滅する。」(『覚りの境地』80頁)と言う事。・・・縁起は「相依性」(互いに寄り添い成立する)であるが故に、一つ支えを取り除くと全てが倒壊してしまう。その姿(事象)と全く同じである事を、本日の「理法」は述べているのです。