愛し好むものと執著

ワン爺の独り言(2017年11月20日)
このSRKWブッダの理法で衆生と聖者と仏の違いがよく分かります。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou282.htm



(以下引用)

【愛し好むものと執著】

愛し好むものに執著を起こすのが、衆生である。

愛し好むものがありながら執著を起こさないのが、聖者である。

愛し好むものの執著の根を断ち切り、解脱しているのが仏である。

人が何かに執著を起こすと、あらゆる苦悩が襲いかかる。

人が何かに執著を起こすことがなければ、争いは静まる。

執著の根を断ち切ったならば、争いと一切の苦悩が終滅すると説かれる。

(以上引用)



*ワン爺のコメント

修行者は自分の「愛し好むもの」が何か思い浮かべてみるとよいと思います。

そして、自分の愛し好むものがなくなったら、悲しくなったり、苦しくなればその人は間違いなく衆生、普通の人です。

自分の愛し好むものがなくなっても、なくなったのかと気にしない人は聖者でしょう。心解脱した人と言ってものよいのでしょう。

自分の愛し好むものがなくなったとき、その事実だけを知って平静な人は仏でしょう。識別作用が消滅しているのでしょう。


この記事へのコメント

toshi
2017年11月20日 07:57
 世の中を見渡せば、苦しい事も一杯あるけれど・・・楽しいことも沢山あります。・・・楽しみの一番は、やはり家族でしょうか?・・・両親・自分・子供・・・その関係性の中から大きな喜び(歓喜)が生まれます。そして大きな歓喜(よろこび)の中から、本当に「大きな苦しみ(執著)」が生まれて来ます。・・・「執著」とは、ある意味「意識せざる日常の中から生まれる」と言う事を自覚し、人(衆生)は「覚り=解脱」を目指さなければいけないと思います。