修行は一人で行なうもの

ワン爺の独り言(2017年11月29日)
「修行は一人で行なうものである。」これは当たり前のようではありますが、とても大切なことです。世の修行者の中には、講演会や説法会や瞑想会に参加して修行した思っている方もおられるかもしれませんが、それは息抜きのようなもの、修行は一人で行うものです。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou290.htm


(以下引用)

【修行は一人で行なうもの】

修行は一人で行なうものである。私もそうだったし、細君(涼風尊者)もそうだった。私はもちろん誰かと相談することはできなかったし、細君も私と覚りについて語らうことはなかった。ある日突然、私も細君も解脱を果たした。

修行は一人で行なうものである。それゆえに、一人で過ごす時間が多く取れる人は恵まれているのだと考えてよいであろう。もちろん、引きこもっておれと言うのではない。世の中のことを見ては、真理について考究し、あるいは観(=止観)を為し、自らの行為を省察し、また仏たちの言葉に触れるときには独り居がよいと言うことである。

覚りは独り居において起こる。これはまぎれもない事実である。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
「修行は一人で行うもの」というと、第一に思い出される経典があります。それはスッタニパータの「犀の角経」です。41の偈で構成されていますが、その最初の偈を引用します。

あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、
あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、
また子を欲するなかれ。況や朋友をや。
犀の角のようにただ独り歩め。
(中村元訳)
この偈については次のアドレスのブログ記事で解説しました。
http://76263383.at.webry.info/201602/article_16.html

尚、この後、毎日41偈について解説しました。

最後にこの理法について述べたいことは、最後の言葉「覚りは独り居において起こる。これはまぎれもない事実である。」ということでありますから、独りの寂静を楽しむようにしてください。

この記事へのコメント

toshi
2017年11月29日 07:52
 昔、「みんなで渡れば怖くない!」と言う言葉が流行しましたが、こと修行においては全く当てはまらないと思います。・・・私も、とある新興宗教団体に6年程所属していましたが、その「居心地の良さ」ったらありませんでした・・・。同好の中に居るだけで「救われている気分」になるのだから、その組織?を抜け出るのは容易な事ではありません。・・・その組織を退会し30年・・・私自身の、人生最大の幸運は「独り居で修行を続けた」と言う事に尽きると思っています。