正法によって覚る

ワン爺の独り言(2017年11月6日)
「ころある人は如来の言葉を聞いて正法の何たるかを理解し、信じた正法によってまさしく覚りに到達せよ。」とSRKWブッダは述べています。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou266.htm



(以下引用)

【正法によって覚る】



衆生にとって人生は苦であり、短い。人生に時おり苦があるのではない。衆生にとって人生すべてが苦である。この世はすべて煩悩の火が燃えさかっているからである。しかし愚かな者は人生を喜び、苦に安住して、歓喜の人生が永遠に続くかの如くに思っている。あるいはまた、人生が苦であると気づいた者でも苦を離れることができず、ある者は苦によって苦を捨てようとさえする。苦を喜ぶ者は覚らない。苦を苦によって捨てようとする者も覚らない。その一方で、苦の真実を識った人は覚る。 苦の真実を識った人は直ちに苦の解決を見るからである。これが覚りの真実である。どちらを選ぶのも各自のことがらである。聡明な人は覚りに至る道を選択せよ。



万巻の書を読破しても、善知識の一言を聞き逃すならば努力は空しい。如来に千万年仕えても、自ら覚ることがないならばそのつとめは悲しい。だからと言って覚れないのではない。文字を知らない人でも覚ることができる。如来がこの世にいない時代の人でも覚りに到達できる。こころある人は人生を空しくするな。



ところで、人は如来の言葉(理法)を学んで覚るのではない。人は正法によって、正法の通りのことが世に起こるのを眼のあたりにして、そして覚るのである。これは因縁によるものであって生き身の如来の存在とは無関係である。こころある人は如来の言葉を聞いて正法の何たるかを理解し、信じた正法によってまさしく覚りに到達せよ。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
今回の理法の次の三つの言葉を説明します。1、苦を喜ぶ者は覚らない。2、苦を苦によって捨てようとする者も覚らない。3、苦の真実を識った人は覚る。

1、衆生にとって人生は苦であるのではありますが、人生は苦であるとは思えないのです。人生には楽しみもあると考えます。そのような人は苦から脱出しようと思いませんから、解脱しません。すなわち、覚りません。

2、苦を苦によって捨てようとするとは、ある苦を他の苦で置き換えようとすることです。例えば、仕事が苦しいから、趣味でその苦を紛らわせるというようなものです。趣味は実は苦なのです。例えばゴルフを考えてみましょう。お金と時間はかなり使われます。そのために、家庭でも職場でも多くのしあ寄せ(苦)が考えられます。また、ゲームですから上達したいと考えて色々努力するでしょう。しかし、それがうまくいかない場合も多いでしょう。結構苦労が多いのです。

3、苦の真実を知った人とはどんな人でしょうか? 苦の真実はそのように知るのでしょうか?
「衆生にとって人生は苦であり、短い。人生に時おり苦があるのではない。衆生にとって人生すべてが苦である。この世はすべて煩悩の火が燃えさかっているからである。」と知った人です。苦の真実は、真実を知りたいと熱望する人が、正法に従って知るのです。


この記事へのコメント

toshi
2017年11月06日 10:32
 多くの人(衆生)にとって、「人生は苦であり、短い。」と聞いてもピンと来ないと思います。多分、「人生には苦もあるけど、楽もあるじゃないか!」と思うはずです。・・・その見方は、一見正しい様に見えますが、実は「楽(楽しみ・歓喜)」の中にこそ、本当に深刻な「苦というもの」が潜んでいることに気が付いていません。・・・「苦」(苦しみ)とは、「自らの、思うようにならない」事を表現する言葉です。・・・よくよく考えて見れば、「この世界に、自分の思うようになる事」など、一つも無いことが分かります。人間の持つ「苦しみ」から逃れる手段は、ただ一つ「円かな安らぎであるニルヴァ-ナ」しかありません。故に、仏は「正法の何たるかを理解し、信じた正法によって覚りに到達せよ」と説かれるのです。