心の根底にあるものによって

ワン爺の独り言(2017年11月8日)
「自覚しているかどうかはさておき、人は心の根底から求めているものに出会うことになる。」とSRKWブッダは仰います。ですから何を心の根底から求めるかは大切なことです。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou268.htm



(以下引用)

【心の根底にあるものによって】



自覚しているかどうかはさておき、人は心の根底から求めているものに出会うことになる。それゆえに、ある人の周りにどのような人々が集っているかによって、あるいはまたその人が何に近づき何を手に入れているかを見ることによって彼が何者であるかが分かるのである。



真理を求めていると公言し、かれ自身まさしくその通りだと思い込んでいても、もしも彼が物を欲しがるように真理を求めているならば、まるで偶然を装って、真理に見せ掛けた真理ならざるものが彼の目の前に出現するだろう。悪しきものをわずかでも手に取ったならば道を踏み外してしまう。

その一方で、心構え正しき人が真理を熱望するならば、その願いを超えた願いを叶えようとして法(ダルマ)がかれの前に出現することになる。かれに因縁があれば直ちに解脱が起こる。因縁がなくても道の歩みを堅固ならしめるものとなる。法(ダルマ)が世に出現するときはつねにそのようである。 諸仏は、こころある人(=菩薩)を覚らせようとして世に出現するからである。



愚かな者が望み、未熟な者が憧れ欲しがるようなものは、それがどんなに価値があるように見えても安らぎには役立たないものである。その一方で、真に価値ある宝はいかなる盗賊にも奪われることがない。それどころか、盗賊さえもがその宝を自ら携えて持ってきてくれる。その無上の宝が、人を覚りへと導くものとなる。

仏教は、本来、右も左も分からない人にこそ示されるべきものである。すでに道を見い出した人には道標さえいらない。その無上の宝を髪に頂いた人は、覚りの機縁を生じ、自らの因縁によって解脱することは間違いないからである。

人々は、この人生において落ち着くべきところへとそれぞれに落ち着く。しかしそれらは運命でも宿命でもない。それは努力や財によってどうにかなるものでもない。けだし、この世のことはすべて因縁によっているからである。真実を知ろうと熱望するならば、あり得べき究極の境地(=ニルヴァーナ)に落ち着くことになるであろう。こころある人は菩提心を起こせ。他ならぬ自分が仏になれるのだと心から信じよ。

(以上引用)


*ワン爺のコメント

親が子供の心の状態を知りたいと思う時は、子供の友達を知ればある程度わかると言われます。「類は友を呼ぶ」というように同類が集まっているからです。自分が何者であるかも自分の周りの人々によってわかるものです。

しかし、心の根底にあるものは、なかなかわかりにくいものです。また心の根底が深化するようにも思います。

例えば、意地悪な子供も本当は他のこと仲良くなりたいと思っているのかも知れない。その子も自分の本心に気がつけばやさしい子供になると思います。

私は人は本当はやさしいと信じていますから、心の根底にあるものを知れば、やさしい人が落ち着くべきところに落ち着くと思います。

この記事へのコメント

toshi
2017年11月08日 11:00
 長く人生を生きていて、本当に色々な人に出会ったものだと思います。大抵の人は「良い人たち」で、自分の人生に幸運を与えてくれましたが、稀に「裏表のある人間」に出合うことがあります。そう言う人は「信頼出来ません」ね。・・・何時なんどき、裏切られるか分かりません。法(ダルマ)の世界は、とてもとても厳しい世界だと思います。・・・一切の「嘘・偽りが通用しない世界」だからです。人間は騙せても、仏(ブッダ)を騙すことは出来ません。何より清らかな心で、地道に「功徳」を積み、素直な(表裏の無い)心を育てて、無上安穏なる境地(ニルヴァーナ)と言う宝を頂きたいものです。