膨大な経典?

ワン爺の独り言(2017年12月18日)
何かの縁で仏教に興味を持ち、仏教書を読み始めると「膨大な経典」に驚かされます。しかし、「仏教の根幹は正法であり、経典によって言い方は違うが、それぞれ文字数にして十数文字~数十文字で表 すことができるものに過ぎない。」と言うことを知っていれば、その後の修行に役に立ちます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou309.htm


(以下引用)

【膨大な経典?】

いわゆる学問や修行によって知識や経験が蓄積され、見識が深まり、そうして覚るのではない。覚りは因縁にもとづいて起こることであり、知識や経験 や見識とは関係がないからである。学識豊かな、いとも聡明な人が、功徳を積んだとき、覚りの機縁・因縁を生じて、ついに覚る。これが覚りの実際である。

ところで、膨大な仏典──などと言う。しかしながら、仏教の根幹は正法であり、経典によって言い方は違うが、それぞれ文字数にして十数文字~数十文字で表 すことができるものに過ぎない。そして、その短い言葉の意味を理解し得たならば、覚ると説かれる。これは本当のことであり、すべて人はこのようにして覚る ことになる。

功徳を積んだ人だけが、正法の意味を理解することを得る。それが法(ダルマ)だからである。正法そのものは魔法の呪文ではないが、正法がいわんとすることの意味を心底に理解したとき、一大事因縁を生じて、解脱が起こるのである。

(以上引用)


*ワン爺のコメント

「いわゆる学問や修行によって知識や経験が蓄積され、見識が深まり、そうして覚るのではない。覚りは因縁にもとづいて起こることであり、知識や経験 や見識とは関係がないからである。学識豊かな、いとも聡明な人が、功徳を積んだとき、覚りの機縁・因縁を生じて、ついに覚る。これが覚りの実際である。」・・・・・これが正法です。

膨大な仏典は、正法を手を変え品を変え説かれているのです。それは人々(衆生)が正法を正法のいわんとするところの意味を心底に理解できないからならなのです。仏典と言われている中には正法が書かれていないものもあります。それらは偽経と言われます。

膨大な経典を読み読み漁ることが意味がないとは申しませんが、私は先ずSRKWブッダのホームページの「正法」の欄を熟読することをお勧めいたします。


この記事へのコメント

toshi
2017年12月18日 07:58
 私も30年以上、原始仏教の経典を読み馴染んできましたが、実は「学んだ内容が明確」ではありません。「何を学んで来たのかな・・・」と言う感じなのです。・・・とても「いい加減に聞こえる」と思いますが、経典の学びが行き着くと内容は「数十文字に集約される」と言う理法が本当なのだと納得出来ます。・・・仏教修行者として行う事は、経典を学びながらも「日常において功徳を積む着意を忘れない」と言う事に尽きると思います。・・・そうすると、自ずと覚りの因縁は「向こうから」近づいてくる。今は、それが間違い無い事実であると思っています。