仏国土

ワン爺の独り言(2017年12月8日)
「仏国土」という言葉を正しく理解できれば、仏教が目指すものが何かわかります。SRKWブッダはこの理法で仏国土の本質を解いています。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou299.htm



(以下引用)

【仏国土】

すべての仏国土は言葉の上に、言葉を縁として成り立っている。そこには、見事に説かれた、理法に適う、耳に心地よい、真実の言葉だけが存在している。

そこには恐れるものがない。そこには憂いがない。そこには苦悩がない。

そして、この仏国土はすべての人が自ら建国することができ得るものである。

すべての仏国土は、もちろん母国語で成立する。そうでなければ、仏国土に国民はいないことになってしまうだろう。そこには無数の国民が住み、暮らしているが、そうでありながら互いに争うことがない。それで、仏国土と呼ばれるのである。


(以上引用)


*ワン爺のコメント
私は比丘であった時は、主に原始仏典で仏教を学んできました。原始仏典には「仏国土」という言葉がなく、大乗仏典を学び始めてからその言葉を知ったのです。そのために、まだよく理解できてないと言って良いのですが、今回の理法及びSRKWブッダのホーム・ページ「覚りの境地」の正法の欄の仏国土に関する文章で、仏国土こそ仏教の目指すものであることが理解できます。

・衆生を完成するのに随って、その仏国土が浄らかになる(維摩経) →  詳細は「直き心」
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou074.htm#naoki_kokoro

今回の理法の、「すべての仏国土は言葉の上に、言葉を縁として成り立っている。そこには、見事に説かれた、理法に適う、耳に心地よい、真実の言葉だけが存在している。」という指摘は、仏国土が善知識(善友、法の句)を縁として成り立っているということだと思います。

この記事へのコメント

toshi
2017年12月08日 08:01
 仏国土は、修行を完成された仏達が住む国だろうから、私達の「この世は全て顚倒している(さかさまである)世界である」(『覚りの境地』85頁)のように「矛盾が蔓延(はびこ)る世界」とは違い、正しいことは何処までも正しく、平和は何処までも平和であって「そこには恐れるものがない。そこには憂いがない。そこには苦悩がない。」・・・まさに理想郷とも呼べる世界ですね。
ノブ
2017年12月09日 00:03
人々は実は、みなやさしい。このことが、仏国土の存在をあらしめる根拠であると思いました。