覚りは一瞬に起こる

ワン爺の独り言(2018年1月2日)
この情欲を超えて「その表象」を生じたとき、それ以後はつねにそれが出来るようになる。それで一定の境涯に達したと認められるのである。この意味は難しいのですが、この時、SRKWブッダは心解脱の完成と言われています。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou326.htm



(以下引用)

【覚りは一瞬に起こる】

ものごとは、それがつねに出来てこそ、出来ていると言われる。出来るときと、出来ないときがあるのでは、実は出来ていないのであ る。ところで、この情欲を超えて「その表象」を生じたとき、それ以後はつねにそれが出来るようになる。それで一定の境涯に達したと認められるのである。

修行者が、数日を振り返り、数ヶ月を振り返り、さらに数年間を振り返って、心に憂いなく、煩いがなかったと実感されるのであるならば、彼の修行は半ばどころではなくもう殆ど完成している。覚りの機縁を生じたならば、ただちに解脱が起こるであろう。

たった一日間を振り返っても、心に憂いなく、煩いがなかったと真に実感されるのであるならば、彼の修行は半ばどころではなくもう殆ど完成している。覚りの機縁を生じたならば、解脱が起こるであろう。この意味において、修行期間の長短は覚りとは関係がない。

この一日間を振り返っても、心に憂いなく、煩いがなかったと真に実感され、確信されるのであるならば、明日も終日、心に憂いなく、煩いは無いであろう。明後日、その先も同様であろう。そのような人の修行はすでに完成している。

たった今の数分間を振り返ったとき、心に憂いなく、煩いがなかったと真に実感されるのであるならば、これ以降、生涯、心に憂いなく、煩いは無いであろう。実は、これが覚りの瞬間に他ならない。この意味において、覚り(=解脱)は一瞬である。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
「ものごとは、それがつねに出来てこそ、出来ていると言われる。出来るときと、出来ないときがあるのでは、実は出来ていないのであ る。」とSRKWブッダは言われるが、これは非常に難しい課題であると思われますが、本当はまだ出来てないからでしょう。
また、世俗の世界では本当にできると言うことがないと言うことかもしれません。覚りの世界に達したとき、本当に出来たと言うことがあるのかもしれません。

さて、この理法の説明がなぜ「覚りは一瞬に起こる」このになるのでしょう。私の理解では、慧解脱は解脱知見と言うものがはっきりとあり、自分は解脱したと自覚できるのです。しかし、心解脱も一瞬で起こるのだが、はっきりとした解脱知見がないため自覚しにくいと言うことだと思います。しかし、後から振り返れば心解脱も一瞬で起こっていると言うことがわかると言うことです。


この記事へのコメント

クリームコロッケ
2018年01月03日 07:30
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

今年の初夢は、自分が新たに相撲部屋を開く夢でした。
ではでは
toshi
2018年01月03日 08:05
 人間が生きると言うことは、絶えず「憂い・煩い」という苦しみに悩まされています。それらが無くなれば、「どんなに楽であろうか」と思える程です。・・・仏道の修行とは、その「憂い・煩い」を根底から断ち切るためのものであり、修行が完成したならば、「憂い・煩い」の無い「覚り=解脱」の境地に到達出来ます。・・・人間の持つ「情欲」を超え、「その表象」が生じたなら「憂い・煩い」も消失すると教えています。・・・人間の持つ苦しみを根底から解決する「覚り(解脱)は一瞬に起こる」のですから、修行者はたゆまず精進を重ね「その時」に備えるべきであろうと思います。
ノブ
2018年01月03日 13:12
相撲部屋ですか。吉夢っぽいですね^_^
私は、未来の研究施設の、白い水槽に泳ぐ黒い鯨の夢を見ました。
ノブ
2018年01月03日 13:43
ケイ・ゲ、ひっかかりと、さまたげがなくなる故に、出来る様になるのだと思います。それが無くなるのが一瞬のことであるので、覚りは一瞬の事柄であるとなるのではないでしょうか。