定慧

ワン爺の独り言(2018年2月11日)
「正しい考えは正しい実践のもといであり、正しい実践は正しい考えのよすがとなる。これらが完成したとき、考えは智慧となり、実践は定(=精神の安定統一)となる。」これがこの感興句の要旨です。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana031.htm



(以下引用)

【定慧】



正しい考えは正しい実践のもといであり、正しい実践は正しい考えのよすがとなる。これらが完成したとき、考えは智慧となり、実践は定(=精神の安定統一)となる。



それゆえに、やすらぎを目指す人は、考えと実践とが別のものであると見なしてはならない。これらは、道の二つの側面に他ならないからである。



この一なる道の真実を知ることを欲する者は、他の人の過失はいざしらず、自分自身の行為についてこそ省察すべきである。それによって正しい考えが起こったならば、かれはやすらぎに至る道の実践をまさしく行なっていると認められるからである。



こころある人は、他ならぬ自分自身によって自分自身を導き、自らによって自らの心を矯めて、想いによって生じる根本の動揺を落ちつけ、人としてあり得べき究極の考えと実践とを我が身に体得せよ。けだし、覚りの境地は、全き静けさを伴った安らけく最高の生活であると知られるからである。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
定慧について、SRKWブッダはすでに「理法」の欄で次の項目などで語っておられます。是非参照してください。
六祖慧能:定慧
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rokuso_enou_jyoue.htm

止(シャマタ)と観(ヴィパサナー)および定慧
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou231.htm

定慧と仏道修行者
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou334.htm


さて、高度な内容を下世話な言葉で説明すると大切な内容が抜け落ちてしまう恐れがあるので、気が引けますが、世間ではよく「落ち着け」ということを言います。落ち着かないと失敗するからです。つまり、落ち着かないと注意力がなくなり、知恵が出ないからです。この「落ち着け」を極めると「定」になり、「智慧」になり、解脱するということになるのでしょう。そのためにはやはり因縁というものが必要なのでしょう。


この記事へのコメント

toshi
2018年02月11日 07:37
 「正しい考えと正しい実践」・・・一つの道の「二つの側面」に他ならない・・・と確かにそう思います。そして、自分自身の行為について省察しようと思います。