順逆の念

ワン爺の独り言(2018年2月20日)
「順逆の念が、人の心を疲弊させる。順逆の念が、人をけしかけ労苦へと駆り立てるものである。順逆の念が、人の平らかなる歩みを乱す因である。」とはSRKWブッダの言葉です。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana040.htm



(以下引用)

【順逆の念】



順逆の念が、人の心を疲弊させる。順逆の念が、人をけしかけ労苦へと駆り立てるものである。順逆の念が、人の平らかなる歩みを乱す因である。それゆえに、順逆の念を離れた人は、心が疲弊することがなく、何かに駆り立てられることがなく、自らの人生を平らかに歩み行く。

我ありという想い(=我執)が、順逆の念を生むもとのものである。人が、この我執(我ありという思い)を捨て去るならば、かれは一切の煩いから解放されるであろう。それは、かれのあらゆるこだわりを打ち砕く心の土台となる。人は、この堅固な土台に立脚して覚りを体現するのである。

人は、決して自らを卑下してはならない。しかしながら、それよりもなお、他の人を軽んじてはならない。他の人を見下し、貶め、辱めてはならぬ。この戒めを尊守して、己の心と相手の心をともに護りぬいたとき、人は順逆の念を離れ、我執(我ありという思い)を打ち砕くに至る。

こころある人は、心を護って、心に巣くう順逆の想いを払拭せよ。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
「順逆の 思いをやめた 修行者は この世において 正遊行する」
これはスッタニパータ362偈を要約した私の短歌です。この偈の解説記事のアドレスは次の通りです。是非参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/201402/article_18.html

このブログ記事にはたまたまSRKWブッダが次のようなコメントをして下さいました。
「順逆の念を離れることは、すなわち我執(我ありという思い)を捨て去ることと同義である。
また、(征服した)国を捨てた王のように振る舞うことであるとも表現される。
順逆の念を離れた人は、さらに超え難きこの情欲を超える。この情欲を超えたならば、心解脱したと認められ得る。これは、一つの覚りの境地である。」


この記事へのコメント

toshi
2018年02月20日 07:36
 辞書を見ると「順逆」とは、「正しい順序と逆の順序」とあります。簡単に考えれば、「順序が逆ですよ」と言う事ですね。・・・「順逆の念が、人の平らかなる歩みを乱す因である。」と感興句にありますから、「順逆」があると「覚り」に至る修行も簡単には進まないと考えられます。・・・「順逆の念」を生むものは「我ありという想い(=我執)」であると教えています。「この我執(我ありという思い)を捨て去るならば、かれは一切の煩いから解放され・・・」とありますから、仏道の目的である「覚り」あるいは「覚りにちかいもの」を体現出来るものと考えられます。
SRKWブッダ
2018年02月20日 10:49
順逆を知らない(識らない)のでは、これを離れることは出来ない。順逆を識り、知って、しかもこれを超える人が、順逆の念を離れることを得て心解脱に達する。***
ラッキー坊や
2018年02月20日 15:01
順逆のこと、とても参考になりました。ものごとを理解したり、それを熟成させるには、入口でプロセスを不正なもの、逆にしていて精進していても、正しい結果を得られないと思いました。