目を凝らして

ワン爺の独り言(2018年2月3日)
他人の行為も自分の行為も目を凝らさなければ、その真実はわからないのでしょう。人々はほとんどいい加減に思い込みで見て、思い込みで判断しているのでしょう。SRKWブッダの感興句「目を凝らして」を読んで見ましょう。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana023.htm



(以下引用)

【目を凝らして】

他の人が為す見事な振る舞いに目を凝らし、その真意をさとって、以って自己を省みる人には少なからぬ福徳が生じる。かれは賢者であると知られる。

他ならぬ自分自身が為した行為の過失に目を凝らし、その帰趨を見定めて、以って自己を省みる人には少なからぬ功徳が生じる。かれは知者であると知られる。

人の行為の中に、見事さと過失とを二つながらに認め、そのすがた(=実相)を見知り聞き知って、以って自己を省みて、善悪を超え、よく気をつけていて、慢心にも卑下にも陥ることがない人は禍福の因をつくることがない。かれは明知の人であると知られる。

賢者は福楽を享受し、知者はこころの平安を体現し、明知の人は全き安らぎに住する。

こころある人は、心構え正しくよく気をつけて世間を遍歴し、人の行為の帰趨を見極め、世の真実を知り究めて、自ら抱く執著を離れ捨て去り、苦悩の終息と終滅とを我が身に体現せよ。

(以上引用)



*ワン爺のコメント
世の中には、他の人の行為を貶す人々は多いですが、中には他の人々の見事な振る舞いを見逃さない人もいます。
また、ほとんど自分自身の行為を省みることない反省のない人々も多いですが、謙虚で慎み深い人もいます。
それらの人々に気づくことは喜びです。

明知の人を発見することは難しいです。その人を発見できれば幸せです。

この記事へのコメント

toshi
2018年02月03日 07:38
 自ら成した行為に「目を凝らし」、自らの行為を内省出来ないのが私たち凡人(衆生)の姿です。・・・その様な中でも、「他の人が為す見事な振る舞いに目を凝らし」、「その真意をさとって」、「以って自己を省みる」ことが出来る「賢者」を目指したいものです。 
ラッキー坊や
2018年02月03日 09:53
確かに自らの行為をなかなか内省出来ないのが僕も同様です。そこで僕は八正道を心がけて生きています。ダンマパダ(273番)で「もろもろの道のうえでは八の部分よりなる正しい道が最もすぐれている。~ 」と書かれています。例えば正思惟しようと思ったら今自分が考えようとしていること内容が正見に照らして正しいか気づいていなければいけません。つまり正見と正念が必要です。失念しないためには正精進して、自分の考えようとしていることに集中していなければなりません。つまり正定が必要です。八正道はバラバラで理解、実践してはダメだと思います。自戒を含めまして・・・・・