礎(いしずえ)

ワン爺の独り言(2018年2月9日)
「最上の礎は、信によってもたらされる。けだし、信は不動心にもとづき起こり、不動心は信ある人に宿るものであるからである。」とはSRKWブッダの言葉です。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana029.htm



(以下引用)

【礎(いしずえ)】

世間には、種々さまざまな風が吹く。しかしながら、ここなる人が聡明であって、風評に心が揺るがないならば、それを最上の礎(いしずえ)と呼ぶ。

かれは、世間に飛び交う如何なる見解にもこだわることなく、自己を妄想する不当なる思惟の根本を断じて、順逆の念を離れ、勝敗を捨て、世に蔓延るいかなる実りにも執著せず、よく気をつけて、心の動揺を制し導いているのである。かれにとって、安らぎはすでに近くにある。

世人は、世の中の風に吹かれて心が動揺し、多く塵をまき散らす。賢者は、堅固な礎(いしずえ)に安立して、塵をまき散らすことがない。塵をまき散らす者は、自らが荒れすさぶ風となって自分をも他人をも動揺させる。塵をまき散らさない人は、荒ぶる風を起こすということがない。

最上の礎は、信によってもたらされる。けだし、信は不動心にもとづき起こり、不動心は信ある人に宿るものであるからである。

こころある人は、風に巻かれてよろめき歩く生活を捨てて身軽になり、風よりも微細でつくられざるそれ(=真実)の現れを見極めて、決して風に手折れることの無いしなやかな心を、何よりも堅固な礎の上に体現せよ。それをそのように為し得たとき、ひとを円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へといざなう最上の礎はかれの身に完成されるのである。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
最近、私は世間に飛び交う色々な見解にほとんどこだわることがなくなったと思っています。まだ、絶対にそうだとは断言できませんが、ほとんどないとは言えます。
そのように言える根拠は、この感興句で述べられている「最上の礎は、信によってもたらされる。」ということだと思います。私の信は「人は本当はやさしい」ということです。不思議なことに、そのことを信じるとどんな見解にもこだわる必要を感じないのです。

日々色々なニュースが報道されていますが、人は本当はやさしいということを感じますし、そのように見えない出来事があっても、人の本心に反する色々な事情でそのようになっているのだと思えるのです。

この記事へのコメント

toshi
2018年02月09日 07:36
 私は、スッタニパータに説かれる「この世では信仰が最上の富である。」(182偈)という言葉が好きです。・・・そこでは、「ブッダの説いた真理、理法に対する信仰」を説いているのですが、本日の感興句にある「最上の礎(いしずえ)は、信によってもたらされる。」とその「信」は同じものだと思います。・・・「信は不動心にもとづき起こり、不動心は信ある人に宿るものである」・・・本当に心打たれる言葉です。