求道のはじめと終わり

ワン爺の独り言(2018年3月12日)
「こころある人は、すぐれた行ないを見て、またすぐれたことばを聞いて、あるいはまたすぐれた想いに触れて、自らに依拠することの本質と、まるでそれに呼応して出現するかのような諸仏の智慧の真意とをさとり、さとり終わって、一切の苦悩から解脱せよ。」とSRKWブッダは言われます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana061.htm


(以下引用)

【求道のはじめと終わり】



すぐれた行いを見て、自分もそのようにできるようになりたいと思うことは、求道のはじめである。 そして、すぐれた行いを見て、「これはまさしく(生まれて初めて知った)すぐれた行ないである!」と心の底から思うことが、求道の終わりである。なんとなれば、人はそのようにして解脱するのであるからである。

すぐれたことばを聞いて、その真意を理解できるようになりたいと思うことは、求道のはじめである。そして、すぐれたことばを聞いて、「これはまさしく(生まれて初めて知った)すぐれたことばである!」と心の底から思うことが、求道の終わりである。なんとなれば、人はそのようにして解脱するのであるからである。

すぐれた想いに触れて、自分もその想いの礎を確立した人になりたいと思うことは、求道のはじめである。そして、すぐれた想いに触れて、「これはまさしく(生まれて初めて知った)すぐれた想いの世における現われである!」と心の底から思うことが、求道の終わりである。なんとなれば、人はそのようにして解脱するのであるからである。

こころある人は、すぐれた行ないを見て、またすぐれたことばを聞いて、あるいはまたすぐれた想いに触れて、自らに依拠することの本質と、まるでそれに呼応して出現するかのような諸仏の智慧の真意とをさとり、さとり終わって、一切の苦悩から解脱せよ。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
求道の始まりは、すぐれた行いを見るとか、すぐれた言葉を聞くとか、すぐれた想いに触れることによって、希望が生じるのでしょう。昨日引用した感興句「希望」にあるように、濁りなく希望(=熱望)は必要なのです。

そして、「心構え正しき人の希望は、ついに叶えられる。」のです。真如が道の歩みを誤らせないからです。
希望が叶えられた時、求道は終わるのです。

この記事へのコメント

toshi
2018年03月12日 07:35
 本日の感興句で説かれる、「すぐれた行ない」・「すぐれたことば」・「すぐれた想い」が「求道の始め」であり「求道の終わり」であるという教えを初めて聞きました。・・・「こころある人は、すぐれた行ないを見て、またすぐれたことばを聞いて、あるいはまたすぐれた想いに触れて、自らに依拠することの本質と、まるでそれに呼応して出現するかのような諸仏の智慧の真意とをさとり、さとり終わって、一切の苦悩から解脱せよ。」・・・まことに深い教えです。