ためになること

ワン爺の独り言(2018年3月22日)
「世人は、世間の利益(りやく)になることがらをためになることであると考える。しかし、真にためになることは世間の利益(りやく)につながることとは違うものである。」
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana071.htm



(以下引用)

【ためになること】



世人は、世間の利益(りやく)になることがらをためになることであると考える。しかし、真にためになることは世間の利益(りやく)につながることとは違うものである。

世人は、何かの役に立つことがらをためになることであると考える。しかし、真にためになることは何かの役に立つとか役に立たないとかいうことを超えている。

世人は、詰まるところ楽しみに結びつくことがら、あるいはまた苦を回避するためのことがらをためになることであると考える。しかし、真にためになることは安らぎに至る道の糧を指す。@

それゆえに、もろもろの如来は説く。

○ 善からぬこと、己のためにならぬことは為し易い。ためになることで、しかも健全なことは、実に極めて為し難い。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
ダンマパダに次の偈があります。

◯ 163 善からぬこと、己れのためにならぬことは、なし易い。ためになること、善いことは、実に極めてなし難い。(中村元訳)

この偈の解釈について以前私は、世間の利益につながることについても、世人はなしがたいと理解していました。
http://76263383.at.webry.info/201003/article_5.html


しかし、今回の感興句を読んで、諸仏はその程度のことを述べておられるのではないことを知りました。すなわち、「世人は、何かの役に立つことがらをためになることであると考える。しかし、真にためになることは何かの役に立つとか役に立たないとかいうことを超えている。」そのために本当は、世人はその超えているものがわからないから、極めて為し難いのだろうと思いました。


この記事へのコメント

toshi
2018年03月22日 07:36
 たしかに世間を見渡すと、「お金が儲かる」とか「地位(身分)が上がる」だとか「めっぽう楽しいことがある」という情報などは「ためになること」として珍重され、もてはやされております。・・・それらは、仏道修行の最終的な目標とも言える「覚り=解脱」(ニルヴァーナ)から見たら遠く隔たった事柄であり、逆に克服しなければいけない内容のものであります。・・・まさに「世の中は顚倒(てんとう)している」のです。