功徳の機縁

ワン爺の独り言(2018年3月7日)
「愚かな者どもの為す愚かなことさえも、人の覚りの機縁となるものである。知者の為す立派な行為が、人の覚りの機縁となることはなおさらである。」とSRKWブッダは説かれます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana055.htm



(以下引用)

【功徳の機縁】



世の愚かな者どものあからさまな願いを知って、その願いそのものとは限らずその願いの根底の希求するところを叶え、しかし決して悪に加担することがないならば、それは大いなる功徳の機縁となる。

世の知者の根底の希求するところを識って、その希求するところのものそのものを叶えることとは限らずその希求するところの根底の「それ」の真実を自ら明らめ、しかも善をわずかでさえも損なうことがないならば、それは大いなる功徳の機縁となる。

愚かな者どもの為す愚かなことさえも、人の覚りの機縁となるものである。知者の為す立派な行為が、人の覚りの機縁となることはなおさらである。それゆえに、こころある聡明な人は、先ず何よりも自らの心を矯めて、よく気をつけて世を遍歴せよ。覚りの機縁は身近なところに存在し、法(ダルマ)もまた極身近なところに出現するのであるからである。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
覚りの機縁は、何か特別な修行法によって得られるもののように考えがちですが、そうではなく身近なところに存在しているということを忘れてはいけない。それは身近なところにあるからこそ、日常的な生活で自分の行いを慎み、次のことが必要でしょう。
■(自分自身を含めた)如何なる人に対しても、誠実に接する

■(自分自身を含めた)如何なる人に対しても、ものおしみしないで接する

■ 目の前で不本意な何が起こっても、(正しく)堪え忍ぶ

■ 目の前で不本意な何が起こっても、自らのこころに問うて(正しく)自制する
以上4項目はSRKWブッダの理法「目の前の人」より引用しました。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou043.htm



この記事へのコメント

toshi
2018年03月07日 07:34
 本日の感興句にある「愚かな者どもの為す愚かなことさえも、人の覚りの機縁となるものである。」という言葉は、道を求める修行者にとって何よりの福音であると思います。・・・「覚りの機縁は身近なところに存在し、法(ダルマ)もまた極身近なところに出現する・・・」のであるから、良く気をつけて遍歴していないとチャンスを逃してしまう可能性があります・・・。